川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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452第1節 水質の変遷1 創設事業 川崎市の工業用水道の創設事業完了時(昭和14年(1939))の水源は、多摩川水系二ヶ領用水と木月・北加瀬・鹿島田地区のさく井15井であった。当時の二ヶ領用水は、沿線の住民が食品や食器類の洗浄に使用していたほど良質であったが一方、さく井の水質は、鉄分をはじめ溶存物質が多く良質ではなかった。 また浄水処理の工程がなく、貯水による自然沈でんのみで混合して配水していたため、水はさく井水の鉄分によって茶褐色に濁っていた。しかし、工業用水の用途のほとんどが冷却用水及び雑用水であったため、低水温を望むあまり、他の水質成分については問題にしていなかったようである。配水水質(予想)(創設事業完了時:昭和14年(1939))濁度20鉄(ppm)52 第2期拡張事業 第2期拡張事業によって取水された相模川水系の原水は、長沢浄水場着水で濁度10度以下の時は直接、11度以上の時は凝集沈でんした処理水を送水した。 相模川は上水道の水源でもあり、水質が良好であるため、工業用水の配水水質は相当改善された。しかし、既設平間浄水場の処理施設が不十分のため、調圧塔で混合された後の水質は最高値では濁度30度、鉄2.0ppmで配水水質の変動は大きかった。配水水質(昭和30年(1955))平均最高濁度1230鉄(ppm)0.462.03 第1次暫定拡張事業及び応急水源増強工事 第1次暫定拡張事業及び応急水源増強工事によって取水されたのは、木月のさく井及び既設さく井の増量分と長沢浄水場の余水池の揚水によるものであり、水質のよくない地下水の占める割合が多くなった。ただし、水温については夏季最高が数度低くなり、冷却用水としては歓迎された。その後、濁度、鉄分が問題になり、平間浄水場の硫酸バンドによる薬品処理を強化したものの、処理施設が不十分のため依然として処理が悪く、昭和35年(1960)には最高値で濁度80度、鉄9.0ppmを記録した。第2編工業用水道第5章工業用水道における水質の取組

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