川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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461第3節水質問題完成し、昭和40年(1965)後半から配水水質を濁度10度以下、鉄1ppm以下に維持できるようになったことで解決した。⑸ 色素が混入 昭和37年(1962)、陰イオン界面活性剤が混入して泡立ったところに色素が集まり、工場内の諸施設に付着して水処理、イオン交換処理等に障害を及ぼし、苦情が寄せられた。原因は、製紙染色工場の二ヶ領用水への排水であった。⑹ 毒物(シアン)を検出 昭和38年(1963)、需要工場において工業用水受水池の鯉が浮上死したとの情報があり分析した結果、シアンが0.2ppm認められた。その後、二ヶ領用水平間着水について監視したがシアンは認められなかった。二ヶ領用水沿線各地でシアンを含む排水源を探したところ、シアンの排水源はメッキ工場からと予想されたが、排出口は不明であった。その後、シアンによる障害、苦情はない。⑺ 脱塩、純水製造における苦情 ボイラー用水として工業用水を脱塩、純水にして使用することが多い工場では、第4期拡張事業によって濁度や鉄の問題が解決してからは、水中の溶存物質等(硬度、Na、K、有機物、ABS等)がイオン交換樹脂に及ぼす影響が問題となってきた。そうした苦情は、昭和38年(1963)頃から生田系及び、平間系の混合割合が多い需要工場から出された。供給者側の対策として、水源の水質汚染防止に努めることや平間系の取水制限及び他水源への振り替えを行ったが、大きな効果は得られなかった。この問題は昭和49年(1974)の二ヶ領用水からの取水停止、続いて昭和55年(1980)の平間系さく井の取水停止まで継続した。⑻ 藻類の異常発生 昭和42年(1967)頃から、相模湖の富栄養化に伴い、配水中の藻類数の増加によって、ろ過器が著しく閉塞するという苦情が多く寄せられるようになった。昭和54年(1979)頃からはアオコが超純水装置のろ過装置に目詰まりを生じさせた。これらの問題は季節的に起こるもので、年によって程度の差があり、爆発的な増殖の場合、浄水処理では完全な除去が困難であったが、昭和56年(1981)にアオコフェンスを相模ダム取水口上流に設置して、表層に浮遊するアオコを放流水中へ流出させないようにした。更に、平成4年(1992)には相模湖にエアレーション装置8基の設置を完了し、藻類の発生を抑制する効果を得ている。⑼ 下水処理水の利用廃止 昭和37年(1962)4月から、入江崎下水処理場の処理水を塩素消毒し、3社3工場へ送水を開始したが、その水質は工業用水の配水水質と比較して著しく劣るため用途が限定されていた。この下水処理水の工業用水としての利用は、昭和52年(1977)11月1日に休止し、その後、平成7年(1995)に廃止した。2 東日本大震災後の放射性物質への対応(工水) 平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に伴う、東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故により、飛散した放射性物質が水源に降下した。

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