川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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472第3編経営第1章持続可能な経営戦略第2節 工業用水道1 事業のあらまし 工業用水道事業は、我が国最初の公営工業用水道事業として、昭和12年(1937)に鹿島田、北加瀬等15か所のさく井及び二ヶ領用水を水源に給水を開始して以来、80年余りが経過した。 この間、産業経済の進展等による水需要の増大に対処するため、新たなさく井の設置や、相模川水系等を水源とする、数次の拡張事業を施行した。更には昭和39年(1964)に好景気による水需要の増大に対処するため、菅地区の地下水や多摩川の表流水を水源として拡張事業を実施した。 しかしながら、昭和48年(1973)の石油危機以後、産業構造の変化、省資源対策としての回収水再利用の推進等の影響もあり、水需要は減少あるいは横ばいの状況となった。これを受けて、平成15年(2003)1月には井田・木月地内のさく井からの取水を停止し、平間浄水場を廃止した。 こうした動向を背景に、平成18年(2006)に「川崎市工業用水道事業の再構築計画」を策定し、給水能力の見直しを主軸とした老朽化施設の更新等の取組を進め、平成25年(2013)3月には生田浄水場の再構築が完成して工業用水専用の浄水場となり、平成28年(2016)3月には新しい長沢浄水場が完成した。 経営面においては、昭和56年(1981)9月の料金改定以降、社会経済情勢が安定期に移行したこと等から、順調に推移したが、平成7年(1995)度〜10年(1998)度の4か年の財政収支計画において、水道事業への分水負担金、その他諸費用の増嵩により、平成10年(1998)度末には多額の累積資金不足額が見込まれる状況となった。そのため、平成7年(1995)10月1日から水道料金(納付金を水道料金ヘ一本化)の改定を実施した。この料金改定の後、より一層の事業経営の効率化を推進した結果、平成10年(1998)度末には累積資金不足額が解消し、財政の健全化を達成することができた。その後、工業用水道利用者の負担軽減に向けた見直しや、目指すべき料金体系の構築に向けた制度の見直しを行うため、平成22年(2012)4月に、基本料金と使用料金による二部料金制を採用し、減額改定を実施した。2 給水状況⑴ 給水能力と配水量 工業用水道は、戦前の創設事業によって給水能力1日8万1,000㎥を得た。戦後は、復興と昭和30年代の産業経済の急速な発展、更に地盤沈下対策による地下水の汲み上げ規制等によって年々水需要が伸び、給水能力は昭和40年(1965)度に1日62万6,000㎥(下水処理水3万㎥を含む)となった。既水源の枯渇により昭和49年(1974)4月以降には、水道事業から1日9万6,000㎥の補てんを受け、同量の給水能力を保っていたが、平成7年(1995)10月に補てん水の減量と下水処理水の廃止により1日58万㎥となった。 その後、水需要の減少に伴って起きた給水能力と配水量のかい離を是正するため、平成9年(1997)〜18年(2006)までの工業用水道改築事業により、給水能力を1日56万㎥へと削減した。

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