川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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547第1節 上水道 昭和44年(1969)4月に伸び続ける水需要に対処するために、広域的立場から水源を確保しようと、神奈川県、横浜市、横須賀市と共同して、県内最後の水源と言われる酒匂川から水を求める神奈川県内広域水道企業団を発足した。 昭和45年(1970)以降、水需要は最盛期を迎え、昭和48年(1973)度には1日最大配水量は61万1,440㎥となり、年間給水量は1億5,500万㎥を超え、1日平均配水量も過去最高の42万6,555㎥を記録した。当時の川崎市の総人口は、99万6,579人と100万人目前、給水人口も99万599人で普及率は99.4%だった。⑷ 大口需要の激減 堅調であった水需要に大きな影響を与えたのが、昭和48年(1973)秋からの石油ショックであった。大口の水需要が落ち込みを見せ始め、翌年度の年間給水量は、前年度から1,000万㎥近く減少し、約1億4,700万㎥となった。これは会社工場の大口需要者が、水道料金や原材料の値上げ等のコストアップ要因に対処するため、循環水の利用等、節水に努めたためと思われる。昭和47年(1972)度における生産加工の使用水量は、5,543万7,517㎥あったが、毎年激減し続けて11年後の昭和58年(1983)度には2,110万8,905㎥と実に62%近くも落ち込んだ。 一方、家事用等の生活用水については、昭和49年(1974)度に総人口が100万人を突破し、給水人口も99万6,962人となった後も増加し、不景気にもかかわらず増え続けた。全体の給水量は、昭和48年(1973)度の1億5,569万2,715㎥を最高に漸減を続けたが昭和55年(1980)度を底に漸増に転じた。⑸ 節水意識の向上と景気の低迷 昭和60年(1985)度以降も総人口及び給水人口は上昇を続けた。昭和61年(1986)度には総人口111万946人、給水人口111万62人と110万人台に達し、普及率は99.92%であった。その後も毎年増加を続け、平成8年(1996)度には総人口、給水人口とも120万人を超え、普及率も99.98%に達した。平成13年(2001)度の総人口は127万984人、給水人口は127万837人で、普及率は99.99%となった。 年間給水量は、昭和62年(1987)度に1億5,000万㎥、平成2年(1990)度に1億6,000万㎥をそれぞれ超えて増加を続け、平成4年(1992)度には1億6,571万4,179㎥に達した。しかし、翌年度の記録的な冷夏、平成6年(1994)度の全国的な渇水を契機に減少傾向となり、その後も節水意識の向上及び節水技術の進歩、長引く景気の低迷、更には大口使用における産業構造の変化、回収水の再利用等の影響により減少を続け、平成13年(2001)度には1億5,404万6,325㎥となった。 一方、1日最大配水量は、昭和53年(1978)度に61万2,850㎥を記録した後、50万㎥台で推移してきたが、平成2年(1990)には63万1,100㎥、それ以降も平成6年(1994)度までは60万㎥台を維持していた。しかし、その後は年間給水量の減少に合わせて減少し、平成13年(2001)度は55万3,500㎥となった。

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