川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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23[面積]1坪=3.30㎡[体積]1升=1.803L 1立方尺=27.825L6 事業費及び財源 当初の事業予算額55万円は全額起債で調達することとされ、大正8年(1919)3月に日本勧業銀行から10万円(年利5.6%)、翌9年3月に川崎の五大会社から25万円(無利子)、日本勧業銀行から20万円(年利5.4%)の融資を受けることに成功した。 しかし第一次大戦直後のインフレの影響で鉄管費や労賃が高騰したため、当初予算は97万円に膨れ上がった。そこで、川崎町は新たに、大正9年(1920)12月に26万円、更に翌10年(1921)3月に16万円の起債を行った。この追加の42万円分については、日本勧業銀行からの21万1,000円(年利5.4%)、帝国生命保険株式会社からの18万2,000円(年利9%)、更には石井泰助からの2万7,000円(年利8%)を加えて、辛くも調達できた。なお帝国生命保険株式会社の18万2,000円については、大正12年(1923)に日本勧業銀行に借換が行われたため、結果的に工事費97万円のうち1/4強を5大会社が引き受け、残りの大半は日本勧業銀行の低利融資で賄ったということになる(下表を参照)。 おりしも大正9年(1920)の戦後恐慌のあおりを受けて横浜の茂木商店が破綻し、同商店の機関銀行であった七十四銀行は同年5月取付けから休業に陥り、預金額23万7,000円余が一時支払停止となった。川崎町は水道布設資金を七十四銀行に預け入れていたため、この財源補てんの必要が生じた。やむなく二重起債の申請をしたところ、大正11年(1922)3月になって24万5,000円が許可され、神奈川県から20万円、横浜興信銀行から4万5,000円を借り入れることが出来た。 工事は、大正10年(1921)3月31日、総額96万3,774円88銭をもって完成した。創設水道にかかわる起債一覧番号借入年月償還期限金額(円)借入先年利(%)11919年3月1937年100,000日本勧業銀行5.621920年3月1936年250,000東京電気株式会社、明治製糖株式会社、富士瓦斯紡績株式会社、京浜電気鉄道株式会社、鈴木商店無利子31920年3月1938年200,000日本勧業銀行5.441920年12月1923年182,000帝国生命保険株式会社9.051920年12月1940年78,000日本勧業銀行5.461921年3月1940年133,000日本勧業銀行5.471921年3月1958年27,000石井泰助ほか1名8.0出典:「川崎町統計書類 大正十年」(川崎市公文書館所蔵)第3節創設

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