川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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584第3編経営第3章料金の変遷とお客さまサービスの拡充11.12.24条例第45号一部改正11.12.24条例第50号一部改正21.10.13条例第38号一部改正料金改定、二部料金制の導入、補てん水の廃止21.12.24条例第64号一部改正条例の全面改正25.12.24条例第68号一部改正消費税及び地方消費税の引き上げ31. 3.18条例第16号一部改正消費税及び地方消費税の引き上げ2 工業用水道の料金の変遷⑴ 責任消費水量制を採用 川崎市の公営工業用水道事業は、地方公共団体が各工場に代わって経営するもので、営利を目的としていない。そのため需給会社に対する料金徴収については、創設当初から責任消費水量制を採用した。この制度は、事前に需給会社から申し込みを受けた受水量を契約水量とし、その水量を前提とした計画給水能力の施設を建設し、実際の使用水量とかかわりなく契約水量に応じて料金を徴収する制度である。なお、需給会社が契約水量を超えて使用した場合には、超過料金を徴収する。 この料金制度の利点は、工業用水道事業者があらかじめ必要となる水量を把握することで効率的な事業運営に繋がり、需給会社としても供給単価が低く抑えられることにある。 昭和12年(1937)7月制定の料金体系は、次のように第1種と第2種と定めた。第1種 普通料金責任水量 1㎥につき2銭2厘超過水量 超過水量が責任水量の1割未満の場合1㎥につき2銭5厘超過水量が責任水量の1割以上の場合1㎥につき3銭第2種 本事業建設に特殊の関係ある会社に対しては次の料金とする。責任水量 1㎥につき1銭1厘超過水量 第1種使用料に準拠する。 第2種の関係会社とは、工業用水道建設に際して事業費の一部を寄付した、昭和肥料、日本鋼管、東京湾埋立の3社である。この料金は、昭和21年(1946)4月の改正時まで8年9か月続いた。⑵ インフレによる相次ぐ値上げ(太平洋戦争後) 川崎市と建設費を寄付した3社が交わした「工業用水道建設寄付に関する契約書」の第7条には、給水開始日から満20年間は、1㎥につき1銭1厘をもって供給することが規定されていた。しかし、川崎市は太平洋戦争で壊滅的な打撃を受け、経済の混乱やインフレの激化によって工業用水道財政は苦境に陥り、各社とも第7条の改正つまり料金の値上げはやむを得ないとの結論に至った。そこで昭和21年(1946)4月、第1種、第2種とも改定に踏み切った。 その後もインフレの高進は止まらず、昭和22年(1947)4月から24年(1949)3月までのわずか2年ほどの間に、合計6回の値上げを余儀なくされた。この間の値上げ率は、第1種12.5倍、第2種16.6倍であった。

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