川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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586第3編経営第3章料金の変遷とお客さまサービスの拡充⑻ 補てん水による納付金の設定等(昭和49年(1974)4月改定) 第4期拡張事業により、給水能力は1日62万6,000㎥(下水処理水3万㎥を含む)となったが、地下水位の低下や水質の著しい悪化、既存水源の一部が枯渇するといった事態に直面した。そこで、当面は水道事業の余裕水に期待した枯渇補てん計画を立案し、1日9万6,000㎥を上水道から補てんし、これについては工業用水道料金とは別に使用者から納付金として徴収することとした。 一方、昭和49年(1974)度から51年(1976)度までの3か年で、枯渇水源補てんのための分水負担金として約47億円が見込まれた。また、人件費や物件費等の増加及び引き続き工業用水道整備事業等、諸施設の増補改良事業計画を総括して、昭和51年(1976)度末には約64億円の累積資金不足額が見込まれることから、昭和49年(1974)4月1日、料金と納付金を合わせて98.8%の料金改定を実施した。⑼ 分水負担金の増に対応①昭和51年(1976)4月の改定 工業用水道事業の料金制度は契約水量による責任消費水量制としているため、昭和48年(1973)の石油ショックによる料金収入に対する影響は、水道事業ほど受けなかった。しかし、インフレによる人件費、物件費等の上昇の影響は避けられず、また、枯渇水源の補てん手段を水道事業の余裕水に求めている関係から、この面の支出増を余儀なくされていた。 主に、枯渇補てんの分水負担金においては、約46%の支出増加が見込まれるほか、人件費等の増加及び昭和51年(1976)度から実施予定の浄水場等整備事業等諸施設の増補改良事業計画を総括すると、昭和52年(1977)度末において約49億円の累積資金不足額が見込まれた。これを解消するためには、料金及び納付金の改定等によって、現行料金に対し58.8%の増収を必要としていた。そのため、改定案は原案どおり可決され、昭和51年(1976)4月1日から実施された。②昭和53年(1978)5月の改定 前回の料金等の改定で事業財政は好転し、昭和52年(1977)度末には資金剰余額が約6億円見込まれた。しかし、昭和53年(1978)度以降は、水道事業における企業団受水の増量により、同事業への分水負担金の増額が余儀なくされた。昭和54年(1979)度末には累積資金不足額が約12億円に達する見込みとなったことから、事業の適正な運営を期すため、納付金を30.4%値上げした。この改定は昭和53年(1978)5月1日から実施した。③昭和56年(1981)9月の改定 昭和55年(1980)度末における資金剰余額は、約5億円見込まれた。しかし、契約水量の減少に加え、昭和56年(1981)度以降、水道事業への分水負担金が増加すること及びその他の諸経費の増加等により、昭和59年(1984)度末には、約50億円の累積資金不足額が見込まれた。そこで工業用水道事業の適正な運営を期すため、昭和56年(1981)9月1日、工業用水道料金及び納付金の改定(平均改定率19.1%、内訳、水道料金9.8%、納付金33.3%)を実施した。

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