川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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605第1節 上水道に対応するため、昭和15年(1940)度から取水並びに浄・配水設備拡張事業を施行すると同時に、同年度から将来の市勢に対処するために総工費402万円余をもって第4期拡張事業に着手した。 このような中で昭和6年(1931)度に約42万円だった料金収入は、経営規模の拡大とともに急増し、昭和19年(1944)度には247万円余となり、水道事業経営も健全な発展を続けた。しかし、昭和16年(1941)12月からの太平洋戦争によって、戦災や疎開による給水人口の激減で昭和20年(1945)度の料金収入は、129万円余で前年度に比べ半減し、水道財政は極度に悪化した。3 事業経営の危機(戦後) 戦争による給水施設の破壊、給水戸数の激減による減収、更に異常なインフレーションによって、水道事業経営は一層危機に直面した。 昭和20年(1945)度の93万円余の事務費は、加速度的な物価騰貴により、昭和26年(1951)度には6,550万円余とわずか6年間に70倍に膨張した。これに伴い水道料金も昭和21年(1946)4月から昭和26年(1951)3月まで8回に及ぶ値上げを余儀なくされ、財政規模は年々拡大した。これら水道料金の値上げは物価騰貴や給与改定に遅れて実施され、更に、戦災復興工事に伴う諸事業費の支出と第4期拡張事業再開による起債償還額の増大等も加わり事業経営は容易ではなかった。 しかし、諸経費の節約を図る一方、漏水防止の強化による有効水量の増大に努めた結果、市勢の急速な復興による給水需要の増加と相まって収入増をもたらし、財政の均衡を支えた。4 企業会計制度に移行 昭和27年(1952)8月1日に地方公営企業法(法律第292号)が制定されたことにより川崎市水道事業も、翌年1月1日から同法の適用を受けた。従来の官庁会計方式は企業会計方式に改められ、現時点での資産の再評価が行われ、経理において収益的収支と資本的収支が明確に区分されることになり、経営成績は損益計算書、財政状態は貸借対照表によって把握されることになった。5 相次ぐ拡張事業による資金不足 昭和28年(1953)度以降、昭和39年(1964)度までの財政状態は、おおむね次のとおりである。 収益的収支に関しては、収益的収入の大部分をなす水道料金収入が、昭和28年(1953)度以降年々増加し、昭和39年(1964)度には14億4,297万7,886円と、11年間に約3.2倍に達した。収益的支出は、職員数の増加及び物価上昇による人件費、物件費の増大と第5期及び第6期拡張事業施行による起債の利子、減価償却の増大等により、毎年度の増加率は昭和36年(1961)度以降、収益的収入の増加率を上回るようになり、11年間で約4.8倍に達した。このため昭和39年(1964)度には、ついに2億2,935万5,165円の純損失を出した。 一方、資本的収支は資本的支出の大部分が拡張事業費であり、その財源を起債に求め、その

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