川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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29草創期の川崎水道を支えた石井泰助・恒夫 石井泰助(慶応元年(1865)~昭和6年(1931))は、川崎宿堀之内の石井家の長男として誕生し、幼名を泰次郎と言った。石井家は、「吹田屋」の屋号を持ち、材木業を営んでいた。多摩川上流の青梅地方の山林を所有し、製材した材木を筏に組み、多摩川を下って江戸・東京方面に供給することで大きな財を得ていた。加えて付近に広大な土地を所有する地主でもあった。「吹田屋」は明治9年(1876)に石井合名会社と改称し、以後も事業を拡大していく。 石井泰助は明治28年(1895)に町会議員に初当選して以来、川崎の地域振興に力を注いだ。翌年には助役、明治30・31年(1897・1898)には川崎町長をつとめた。日露戦争後からは近隣の地主たちに呼びかけて工場招致に尽力する一方、①多摩川の治水工事、②川崎町周辺の区画整理と道路整備、③町営水道の建設の三大事業を掲げて工場地帯のインフラ整備にも取り組んだ。この間、明治43~45年(1910~1912)と大正3~5年(1914~1916)の二度にわたって川崎町長をつとめた。彼が最も心血を注いだのが町営水道の創設であった。 その後、大正13(1924)年から昭和4年(1929)まで初代川崎市長に就任し、産業都市・川崎の礎を築いた。彼の嗣子・石井恒夫も川崎市水道部長をつとめるなど、拡張工事に従事した。草創期の川崎水道を支えた石井父子の墓は、川崎区旭町の徳泉寺にある。コラム執筆:大正大学文学部歴史学科 准教授 松本 洋幸 氏コラム ①ニ関聯セル事項並ニ増税ノ件外数件附議四五件ヲ調査委員ニ附託他ハ即決ス10/20水道浄水場工事入札予算ニ達セズ不調トナル 木管及敷設工事ハ大日本木管会社ヘ金十壱万九千七百円ニテ落札ス10/25(総員委員会決議)水道工事入札受負者無之カリシ結果山根三之助ト随意契約ヲ為スコトトス 金十弐万弐千八百六十円也 セメントハ浅野セメント会社ヨリ直接購入ノコトトス 四千弐百樽但シ袋入壱万弐千六百袋代金参万弐千参百四拾円一樽七円七十銭 煉瓦ハ増山周三郎ヨリ購入ノコトトス 総数三十四万本一等弐百八十円二等弐百七十円三等弐百六十円平均代金九千百八十円也 以上三口合計拾六万四千参百八十円トナル11/21水道用地買収交渉ノ為町長小林氏ト共ニ宮内ヘ赴ク11/23水道起工式ヲ戸手浄水地敷地ニ於テ挙行ス県知事代理北野衛生課長外百二三十名参会第3節創設

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