川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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30創設水道に使われた木管 川崎の創設水道の導水管(水源地から浄水場まで原水を送る管)には、鉄管ではなく、木管が使用されており、現在もその一部が川崎市上下水道局で保管されている。 木管は、19世紀末にアメリカで開発され、シアトル・ボストンをはじめ主要都市の導水管に使用されていた。鉄管に比べて化学変化を受けにくく、気温の変化による伸縮などが少なく、耐久性も遜色のないものが開発され、鉄管の数分の1という廉価が最大の魅力であった。 日本で木管水道が注目を集めたのは第一次世界大戦中のことであった。当時、鉄材欠乏による鉄管暴騰のあおりを受けて、布設工事が中断に追い込まれる都市もあった。各都市では中古品の鉄管入手にやっきとなるが、玉川水道株式会社(現在の東京都大田区や品川区で給水事業を行っていた、国内最大の私営水道会社)や兵庫県尼崎市などでは、木製の水道管を購入して建設作業を続けた。 川崎町が最初に水道計画を策定したのは明治44年(1911)であるが、これに携わったのは久保平吉という技師で、彼は当時、日本における耐圧木管水道の第一人者であった。コラム執筆:大正大学文学部歴史学科 准教授 松本 洋幸 氏内径14インチ導水木管コラム ②第1編上水道第2章近代水道の幕開け

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