川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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32第1節 第1期拡張事業1 背景⑴ 創設水道の増強 大正10年(1921)3月に1人1日最大配水量3立方尺(83L)、1日最大配水量12万立方尺(3,320㎥)の創設水道が完成した。計画給水人口は約2万3,000人であり、これは工場の使用水量を見込んだ給水能力であった。(工場の使用水量を人口に換算した場合、計画給水人口は4万人) しかし、この創設水道について川崎町議会で議決した大正6年(1917)以降の人口は、従来の人口増加率をはるかに上回り、創設水道が完成した大正10年(1921)末には、すでに計画給水人口を上回る2万4,302人に達していた。 人口増加とともに、工場の使用水量も予想以上の増加を示し、これらの需要水量の増大に対応するため、当面の対策として既存施設に改良を加え、配水量の増加を図った。 はじめに、大正12年(1923)に沈でん池の沈でん時間を、24時間から18時間に変更し、緩速ろ過池のろ過速度を8尺(2.4m)から10尺(3.03m)に変更した。更に、大正13年(1924)6月には、沈でん池の沈でん時間を16時間、緩速ろ過池のろ過速度を12尺(3.6m)へと変更し、1日最大配水量は、当初の12万立方尺(3,320㎥)から18万立方尺(5,020㎥)に増量された。 また、これらの変更に伴い、宮内水源地の取水ポンプは既設2台のうち1台を取水能力1日18万立方尺(5,020㎥)のものと取り替え1台を予備とし、戸手浄水場の配水ポンプは既設3台に新たに1台を増設して4台とした。〈宮内水源地〉取水ポンプ1台 15馬力電動機直結口径8インチ(203㎜)タービンポンプ1台 10馬力電動機直結口径8インチ(203㎜)タービンポンプ(撤去)〈戸手浄水場〉配水ポンプ1台 75馬力電動機直結口径10インチ(254㎜)高圧タービンポンプ⑵ 大師町、御幸村への給水 大師地区の井戸水は水質が極めて悪く、ほとんどの井戸にはろ過器が備えてあった。また、この地区の一部では、二ヶ領用水を飲料水として使用していたが、二ヶ領用水の末端に位置するこの地区では、汚物等の混入もあり、飲用に適するようなものではなかった。 川崎町水道が完成すると、大師町・御幸村への町外給水は、大正11年(1922)4月から行われていたが、これは、各町村長を組合長とする組合に対して給水する形をとり、各町村との境界付近に給水栓を設け、それらから各家庭の一部へ運搬給水されていた。 その後、川崎町、大師町、御幸村の間で合併交渉が行われ、関係町村の議会代表は合併後の問題を検討し、大正13年(1924)3月3日に以下のような覚書を交換した。川崎町御幸村大師町合併ニ関スル覚書一 合併ト同時ニ市制ヲ施行スルコト二 県税、家屋税及同附加税ハ従来ノ川崎町標準ノ等級ヲ増加シテ、現状負担ノ税額ヲ基本トシ、公平ニ調停スルコト三 上水道ハ必要ニ応シ、出来得ル限リ迅速普及ニ努ムルコト四 三町村ノ連絡主要道路ヲ急速ニ新改築シテ、完全ナル交通ヲ実現スルコト  〈中略〉第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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