川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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33 創設水道も大正13年(1924)6月、設備に増強改良を加えて1日最大配水量は、18万立方尺(5,020㎥)となったが、需要水量は上昇を続け、同年7月、市制施行直後の1日最大配水量は17万立方尺(4,710㎥)を超えていた。 創設水道が完成して以降、大正13年(1924)までの給水状況は、次のとおりである。創設から第1期拡張事業施行前までの給水状況年度総人口(人)給水人口(人)1日最大配水量(立方尺)大正10年度24,30210,98842,230(1,174㎥)11年度25,33919,241123,633(3,437㎥)12年度27,20020,360174,820(4,860㎥)13年度29,75223,589179,748(4,997㎥)(50,188)(注)大正13年の( )内数は合併による総人口2 計画の概要⑴ 規模給水区域川崎町、大師町、御幸村計画給水人口6万人1人1日最大配水量5立方尺(139L)1日最大配水量30万立方尺(8,340㎥)⑵ 計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和4年(1929)末における総人口を7万5,000人と推定し、その普及率を80%として算定し、6万人とした。 計画配水量は、1人1日最大配水量を3立方尺(83.4L)とし、1日最大配水量を、18万立方尺(5,020㎥)と推定した。これに工場用水の12万立方尺(3,320㎥)を加えて、合計30万立方尺(8,340㎥)とした。本計画では、30万立方尺(8,340㎥)から創設水道の増強前の1日最大配水量12万立方尺(3,320㎥)を差し引いた18万立方尺(5,020㎥)を増強することとした。⑶ 工事計画 創設水道の水源取入口は、1日30万立方尺(8,340㎥)の取水が可能であり、合併した新給水区域への給水と既給水区域の増加に対処するため、この取水可能の限度まで給水量の増加を図ることとした。 水源は、創設水道による既存施設を利用し、多摩川の表流水を取水することとした。 宮内水源地には、既設の導水ポンプ1台を取水ポンプに移設、沈でん池1池を増設、導水ポンプを新たに2台増設した。導水管は、既設導水管に並行して新たに口径14インチ(356㎜)鋳鉄管1条を布設することとした。 戸手浄水場には、緩速ろ過池、浄水池各1池を増設することとした。 配水方法は2系統とし、新たに御幸地区へ配水するため、口径12インチ(305㎜)配水本管を布設し、川崎・大師地区は、既設口径14インチ(356㎜)配水本管によって配水することとした。また、御幸地区への配水は、創設水道の増強時に整備した75馬力の配水ポンプ1台及第1節第1期拡張事業

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