川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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40年12月4日に神奈川県知事あてに市・町合併の上申書を提出する運びとなり、昭和2年(1927)3月31日に認可された。こうして田島町は同年4月1日から川崎市に編入され、これに伴い上水道組合は解消し、水道事業は再び川崎市が経営することとなった。 このように、上水道組合は設置後わずか1か年にして解消されたが、田島町との合併条件で「上水道の大拡張を断行し、出来るだけ速やかに普及に努める」ということが確認され、次期拡張事業による大水道実現にまい進した。⑵ 伏流水の調査 創設以来、水源は多摩川の表流水に求めていたが、将来の拡張水源として多摩川の伏流水を利用することとした。その理由として、当時の多摩川上流は、人口の増加から汚染や細菌の混入が懸念されたこともあり、伏流水の方が水質的に優れ、建設費や維持管理費の面からも有利であると考えられたためである。 大正14年(1925)7月に市内下平間地先多摩川堤内付近一帯の地下水と下沼部地先堤外地の伏流水の調査計画が立てられた。ロータリー式試掘器で9か所の試掘を行い、水質試験の結果、6か所で飲料に適するとの評価を得た。 また、揚水試験の結果、1井当たり最高1日4万5,000立方尺(1,250㎥)、最低1日3万立方尺(834㎥)で、6か所を結ぶ集水埋管によって1日96万立方尺(2万6,690㎥)の取水が可能であると推定された。伏流水揚水試験伏流水の調査第1編上水道第3章水道の拡張時代の到来

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