川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
79/810

412 計画の概要⑴ 規模給水区域川崎市(川崎町、大師町、御幸村)、田島町計画給水人口10万人1人1日最大配水量6立方尺(166.7L)1日最大配水量60万立方尺(1万6,670㎥)⑵ 計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和9年(1934)度末における総人口を12万7,888人と推定し、その普及率を80%として算定し、10万人とした。 計画配水量は、製造工場等に対する増加水量を見込み、1人1日最大配水量6立方尺(166.7L)とし、1日最大配水量を60万立方尺(1万6,670㎥)と推定した。本計画では、この1日最大配水量から既施設能力1日最大30万立方尺(8,340㎥)を差し引いた30万立方尺の増強を目途とした。⑶ 工事計画① 当初計画 昭和元年(1926)末の人口は、すでに5万7,066人に達し、新給水区域である田島町の人口を加えると7万8,160人となり、第1期拡張事業における計画人口7万5,000人を超える状況であった。しかも、田島町の配水管増設は一部に止まっており、田島町との合併条件からも、水道の拡張を早急に実施しなければならない状態であった。 そこで、すでに調査が完了していた多摩川伏流水を水源として、基本配水能力を1日100万立方尺(2万7,800㎥)とし、これを2回に分けて実施することとした。 第1回工事として、1日配水能力50万立方尺(1万3,900㎥)を施行し、既設と合わせて1日最大配水量を80万立方尺(2万2,240㎥)とし、需要に対応しようとするものであった。 昭和2年(1927)8月9日に市議会の可決を得た当初計画(事業費210万円)は、内務・大蔵大臣あて事業認可等の申請を行った。しかし、当時、神奈川県は大規模な県営水道を計画中で、その給水区域に川崎市も入っていたため、申請書は神奈川県において一時保留となった。② 計画の変更 県営水道計画は、水源及び給水区域等に問題があり、その決定に至らなかった。 一方、川崎市の水需要は前述のように切迫していたため、昭和3年(1928)末、川崎市は多摩川からの取水を希望し、県営水道の計画給水区域から除外されたために、急いで対策を立てることとした。 当初計画は、水源を新たに下沼部地先堤外地の伏流水に求め、浄水場・配水場を新設するため工事の完成に3か年を要するという大規模な計画であった。更にこの時期、水源として二ヶ領用水の取水案が主張されるようになったが、調査の時間と水利組合との協議の問題があるため、次期拡張事業で検討することとなった。 このような経過をたどり、本拡張事業は当初計画案を撤回し、次期大拡張事業施行までの給水を維持する最小限の工事を施行することとした。変更案では、既設取水口を上流に移し、伏第3節第2期拡張事業

元のページ  ../index.html#79

このブックを見る