川崎市水道百年史 川崎市上下水道局
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57第6節暫定拡張事業新設増設も相次ぎ、工場数は大小合わせて約700となった。更に、京浜運河の開削並びに臨海工業地帯造成に伴う埋立事業も着々と進められ、各種産業の進展は、日中戦争による軍需工業の勃興と相まって急速に進み、当時の川崎は飛躍的な発展を遂げた。 昭和23年(1948)を目標として計画された第3期拡張事業が完了しても、なお水量に不足を生ずる状態が予測されたため、完了前に川崎市は将来の発展に適応する次期拡張を迫られることとなった。 幸いなことに、神奈川県において調査が進められていた相模川河水統制事業計画が、昭和13年(1938)1月の県議会で議決を得るとともに、川崎市においても、同年1月18日に市議会全員協議会を開き、この「相模川水利統制に伴う分水の件」を可決し、この分譲水を水源とする第4期拡張事業を計画することとなった。 しかし、前述のとおり、当時の川崎市は、すでに水量に不足を生じ、昭和13年(1938)夏季には1日最大配水量6万5,800㎥、翌年には7万1,300㎥を記録し、使用水量は施設能力を大幅に上回る状態であった。一方、相模川河水統制事業による取水の実現には、日中戦争の影響を受け、更に数年を要する状況であったため、第4期拡張事業と並行し応急対策として、取水・浄水及び配水設備を増強する暫定的拡張事業を施行することとした。 したがって、本拡張事業は、第4期拡張事業完了までの給水難を緩和するために計画したもので、目途年次の昭和18年(1943)における推定需要水量から1日4万5,000㎥を増強し、1日最大配水量を9万5,000㎥とする計画とした。 市議会には、第4期拡張事業及びこれと並行して行う計画であった工業用水道拡張事業施行に伴う各議案も提出され、いずれも昭和15年(1940)8月19日に議決を得た。2 計画の概要⑴ 規模給水区域川崎市一円計画給水人口25万5,000人1人1日最大配水量366L1日最大配水量9万5,000㎥⑵ 計画給水人口と配水量 計画給水人口は、昭和18年(1943)における総人口を33万8,940人と推定し、その普及率を75.4%として算定し、25万5,000人とした。 計画配水量は、1人1日最大配水量を366Lとし、1日最大配水量を9万3,330㎥と推定した。本計画では、この1日最大配水量から既施設能力1日最大5万㎥を差し引いた約4万5,000㎥の増強を目途とした。 昭和9年(1934)度以後の人口及び配水量の推移等は次のとおりである。

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