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第61回水道週間 川崎市小・中学生作品コンクール 入賞作品 作文の部

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小学校低学年の部

特選: 該当者なし

準特選: 該当者なし

準特選: 該当者なし

入選: 川崎市立久本小学校  2年 栗田 廉介

    おいしいつめたい水

 ぼくはいつも水をのんでいます。あせをかいたらのみます。サッカーをしたときものみます。ぼくは一日何回も水をのみます。水はおいしくて、つめたいです。だからいつもいっぱい水をのみます。時には、サッカーのし合い中に、水をあたまからかぶることもあります。サッカーがおわったあとのむ水はさい高においしいです。水がなくなったらこまります。
 水は水どうのじゃ口をひねれば出てくるけれど、ただじゃないし、水どうを作る人がいるということを聞きました。だから、これから水を大切にしながら、これからもサッカーのあと水をのみたいと思います。

入選: 川崎市立久本小学校  2年 仁木 和奈子

    とってもつめたい水

 いつもあついときにわたしはプールに行きます。いつもすごく水がつめたくて、気もちがいいからです。わたしはプールの水にもぐるのが大すきです。なぜかというと、体が水につつまれて、気もちがいいからです。
 ぜんぶ水のおかげでつめたいし、気もちいいのだと、思います。
 もし、水がなかったら、あつい日にもプールに入ることが、できなくなってしまいます。だから水がないとこまります。そうならないためにも、水を大切につかいたいと思いました。

入選: 該当者なし

入選: 該当者なし

入選: 該当者なし

小学校中学年の部

特選: 川崎市立百合丘小学校  3年 栗原 詩織

    水は、人間の命綱

 私は、今まで水道の水がとまるなんてことがあるなんて考えてもいませんでした。それに、じゃぐちをひねればせいけつな水が出てくるということは当たり前だと思っていました。けれどもその考えはちがいました。
 私は二年生の時、大きなけいけんをしました。ある日とつぜん学校の水道の水が出なくなってしまったのです。手をあらったり、のんだりする水が出なくなったり、トイレの水も流れなくなりました。先生の話では、あまりにも寒かったので、屋上にある給水タンクへ水を送る水道かんがこおってしまい、屋上タンクにたまっていた水が全部使われてしまったために、水が出なくなってしまったそうです。わたしは、
 「水が出なくなって、どうなるんだろう。」
と思いました。私にとって初めてのけいけんだったのでどうしていいか分かりませんでした。トイレを使っても流せないし、給食の前でしたが、手もあらえませんでした。校庭の水道からは水が出たので、先生たちはバケツに水をくんできてはトイレの水を流したり、ペットボトルの水を持ってきてわたしたちの手についた石けんを流してくれました。
 五時間目の終わりごろ、ようやく水が出ました。その時のことは今でも心にのこっています。水道から出るようになったしゅん間の水がキラキラ光って見えました。私はその時
 「やっぱり水道からせいけつな水が出るっていいな。」
と思いました。
 その後、おばあちゃんからすてきな言葉を教えてもらいました。それは、
 「水は、人間の命綱。」
 という言葉です。これを聞いて私はどれだけ水が人間にとって大切なのか分かりました。この時のけいけんをわすれずに、水道から水が出ることを当たり前と思わずに大切に使っていきたいです。

 準特選: 川崎市立土橋小学校  4年 我久 彩夏

      ゆたかなくらしは水から

 わたしたちが生活する中で、必要な物は、食べ物と飲み物です。わたしは、飲み物の中の水に注目してみました。水は、飲むだけでは、ないのです。しょっきあらいや、せんたくにも使うのです。
 わたしたちは、水を飲むほかに、しょっきあらいやせんたくに使うことがわかりました。ほかに、水が主に使われている場所をさがして、調べてみました。その二つをしょうかいします。一つ目は、カッパークにあるじゃぶじゃぶ池です。九時十五分ぐらいの時間でも、遊んでいる親子がいました。この時間では、小学生が勉強している時間です。三時三十分ぐらいには、小学生がじゃぶじゃぶ池で遊んでいました。中には、大人もいました。近くには、ふんすいもあります。カッパークには、たくさんの水があります。大人から子どもまで、じゃぶじゃぶ池で楽しめるなんてすごいと思いました。じゃぶじゃぶ池の水は、足をひやすのにぴったりなのです。水は、遊びにも多く使われているのが調べてわかったこと一つ目です。
 二つ目は、水道です。水道は、いたるところにあります。調べていて、びっくりしたことが、わたしのマンションに犬ようの足あらいばがあることです。マンション内ですが、外にあるのです。わたしは、なぜ外にあるか考えてみました。そして、マンションの管理人さんにきいてみました。管理人さんは、
 「犬の足をあらうところだよ。」
と教えてくれました。どうしてですかとしつもんすると、
 「マンションがよごれてしまうからだ。」
と教えてくれました。水道は、犬にも使われていることがわかりました。マンションがよごれないということは、マンションにすんでいる人がきもちよくくらせるし、ゆたかなくらしができているのかなとわたしは思いました。そして、マンションの管理人さんすごいと思いました。水道は、マンションの人たちにとって、すごく大事なものだとわかりました。これが調べてわかったこと二つ目です。
 わたしは、ゆたかなくらしができるのは、水からだと考えました。身近にあたりまえのようにある水。わたしは、あたりまえのようにある水が、なくなってしまったら、人々は生きていけないとこまるということがわかりました。わたしたちが、ゆたかなくらしができるのは、すべて水のおかげなのだとわかりました。

準特選: 該当者なし

入選: 川崎市立末長小学校  4年 橋本 苺奈

    私達の使う水

 私は、水はどうしてなくならないのかな、という話題が出たとき、新しい方法ができて、たくさん水が使えるようになったしか、思いつかなかったけどそれから勉強していくと、宮ヶ瀬ダムは、城山ダムと三保ダムと相模ダム全部あわせたよりも大きいことや、地球全体で、人が実際使える水は、0・01%ということをしって、もっと水を大切にしようと思いました。そこから、この勉強をいかそうと、昨日、手あらいうがいは、こまめに水をとめる、お風呂も10分以内におわらせるなど、いろいろためしてみると、お母さんが、
 「今日はいろいろ早くおわらせていいかんじだね。」
と、ほめてくれて、それに節水をしたことになって、水を大切にするって、いいことだと思いました。これから、水を使う時は使う分だけ水を出し、たくさん水を使う場合は、なるべく早くおわらせて、これからもじゅぎょうで学んだことをいかし、地球全体の人が実際に使える水の0・01%を、もっとふやして、それと同時に地球のどのかんきょうにもやさしく、他の国の人も安心して使えるようにしたいと思いました。これは、自分じゃできないし、たくさんの人とたくさんの時間とたくさんのお金がひつようだけど、みんなが協力して、いつかは、そうなるといいなと思いました。

入選: 川崎市立末長小学校  4年 堀 乃ノ葉

    生きるのに必要な水

 「暑い~。」
 今日はすごく暑い日です。水筒の水を飲むとすごく暑かったのもだんだんすずしくなってき ます。家にかえろうと思いました。
「ただいま。」
 まず最初に、手をあらいにいきました。それから花に水やりにいきました。お母さんがりょうりをしています。わたしもてつだいにいきました。
 「ちょっと水を一ぱいもってきて。」
 といわれて水をもってきました。
 わたしは、今日水とうをのんで手をあらって花に水やりにいってりょうりで水を一ぱいもっていきました。わたしたちはいつも水をたくさんつかっているのだなと思いました。それからごはんがたべおわって皿をあらうために水をつかいおふろに入るために水を使いせんたくするために水をつかいトイレでながすために水をつかいました。
それから学校にいって勉強してわかったのですが人間がじっさいに使える水は地球全体の0・01%なのだと気づきました。わたしは水を大切につかうときめました。あと油よごれとかは、あらう前にぬのとかでふかないと下水道管が油でつまって水がとおらなくなるそうです。なのでわたしは、油よごれとかはあらう前にふこうと思いました。
水がなくなったらたいへんなので自分がつかう分だけの水をとるようにしようと思いました。

入選: 川崎市立西生田小学校  4年 北川 玲士

    ほこるべき日本のきれいな水

 日本ではじゃ口から水が出て、その水は飲むことができます。だけど外国には日本のような浄水せつびが整っていないので、水道水が飲めない国が多いそうです。ぼくはふだん当たり前にじゃ口から水を出し、飲んだり、うがいをしたり、歯をみがいたり、手をあらったりしているので、このことを知り、日本の技じゅつはすごいなと思い、この国でくらすことができて幸せだなと感じました。
 ぼくはこの間、社会見学で川崎市多ま区にある長沢浄水場に行きました。そこで湖の水がどうやって飲料水になるかを学びました。
 まず最初に遠くはなれたさがみ湖と津久井湖の水が導水トンネルを通って、浄水場の入り口の着水井まで入ってきます。この水は原水と呼ばれ、ゴミや砂、細きんがまじっていてくさいのでふん末活性炭を入れて、においのもとを取りのぞきます。二番目に薬品混和池で原水にポリ塩化アルミニウムという薬をまぜて、細かなゴミや砂をくっつけて、三番目のフロック形成池でフロックとよばれるゴミや砂の大きな固まりを作ります。そして四番目の沈でん池で大きなフロックをしずめ、五番目のろ過池にきれいになった水が運ばれます。ここでは沈でん池で取りきれなかった小さなゴミを取りのぞきます。最後に目に見えない細きんを取りのぞくため、消どくせつびで次亜塩素酸ナトリウムという薬品を注入します。これだけの過程をクリアして、やっと安全安心な飲める水道水ができあがるということがわかりました。
 世界トップレベルと言われている浄水場の仕組みを見て、日本人をほこりに感じました。なのでこの浄水せつびを飲み水にこまっている外国の人々に伝えて、世界のみんなが美味しい水道水を飲めるようになったらいいなと思いました。
 今、世界各国ではいじょう気しょうが続いていて、日本でも今年の夏はとくに気温が高く、梅雨も早く明けたので、川崎市は雨があまりふっていないような気がします。そうなると水不足になり、今できている当たり前の生活ができなくなる可能性がでてきます。それは困るので、おふろの時シャワーをむだに流しっぱなしにしないなど、ふだんから自分にできる節水はしていこうと思いました。
 ただ、夏休みに名古屋のおじいちゃんに、ぼく達が支払っている水道代の収えきで新しい水道しせつを作ったり、古くなった水道管を新しくしていると聞きました。この間、大阪府北部で起きた大地しんで古い水道管がはれつしてしまい、水があふれているところをニュースで見ました。古い水道管は新しいものにしないとこのような災害があった時に困るので、水道代の収えきも大事だと思いました。だからぼくは節水するところはするけど、日本のきれいな水に感しゃしながら、水を大切に使っていきます。

入選: 該当者なし

入選: 該当者なし

小学校高学年の部

特選: 川崎市立坂戸小学校  6年 竹久 慶二

    改めて水の大切さに気付く

 ぼくは五年生の時に、地球温だん化について授業で学びました。地球温だん化を防ぐには、車から出る排気ガスを少なくする、節電するなどありますが、ぼくが一番印象的だったのが、節水で温だん化を防ぐことができるということでした。ぼくはそれまで、水を出しっぱなしにこそしていなかったけれど、水を大切に使う、という意識はあまりもっていませんでした。そして水の節水について調べていくうちに、ぼくたちの生活で一日にどれだけたくさんの水が使われているか知ってびっくりしました。一番おどろいたのがお風呂で使う水の量です。お風呂をためると、一回180~200リットルも使います。そしてシャワーは一分で、6リットルもの水を消費しているのです。これを家族全員が使うので、とてもすごい量になります。このことを知ってから、むだに水を流すことがとてももったいなく感じて、少しでも使ってない時はすぐに水道の栓をしめるようになりました。そして家族にもそのことを話して、水の節水が地球温だん化をとめるためにぼくたちができることなどを話し合うとてもいい機会にもなりました。
 そして先日、ふとした時にインターネットでこんな記事をみつけました。
 「どんなに汚くてもこの水を飲むしかない。」
ぼくは、この題名を見て、少しこわい気持ちで記事を読みはじめました。この記事には、世界には安全な水を手に入れられない人が6億6千3百万人もいるということが書かれていました。そして、そのような国では子供や女性が毎日10・以上も歩いて水の重さにたえながら水汲みをしているのです。そして、つかれ果てた子供たちは、学校に通う時間も体力も残らないのです。そんな苦労をしてくんできた水も、浄水処理がされていない池や川、野ざらしの井戸の水で、泥や細菌などが混ざった危険な水なのです。この汚れた水を飲んだことにより命を落とす乳幼児は、年間30万人、毎日800人以上もいるというのです。ぼくはそれを知ってとても心が痛くなりました。とても信じられません。ぼくたちの国では、水道の栓をひねると、当たり前のようにきれいな水が出てくるからです。そしてその水はとてもおいしく、好きなだけ飲むことができるからです。でもこの記事を読んで、それは当たり前のことじゃないんだ、ということを知りました。ぼくたちの国はとても恵まれているのです。水道局の人達や、下水道工事の人達本当にたくさんのさまざまな大人達のおかげで、おいしくてきれいな水が飲めているのです。
 ぼくは改めて水の大切さを感じ、水をムダにしない、大切にしようと強く思いました。そして、世界中の人達が、安心してきれいな水が飲めるように、水道が整備されてほしい、世界中の子供達が水不足で大変な思いをすることがなくなってほしいと思いました。

準特選: 川崎市立長尾小学校  6年 片山 千秋

     もう一度、水に感謝を~断水と水もれ~

  私達は今まで、西日本豪雨や台風十号の異例の動きなどで何度も断水の危機におそわれました。かと思うと今度は水もれしている家が何軒もあります。そして、その一家は私の家です。
 私の家はもとが中古家で、何年か前から水もれがくり返されていました。水もれしていると、その水道は使えません。水もれしている状態で使うと、どんどん水もれがひどくなっていくのです。つまり、一部の水道だけだけど、断水と同じ状態なのです。その水道は洗面場で、家族が一番使う所でした。一番使う所が使えなくなると、いろいろと不便な事があります。まず、外から帰ってきた時に手を洗面場では洗えません。しかたなく食器などを洗う『流し』で手を洗います。手の汚れが食器につかないかどうか心配でした。他にも手を洗う事はあります。でも一番困ったのは、歯みがきです。さすがに流しではできませんし、場所に困りました。私は一つの水道が使えなくなるだけで、ここまで困るとは思いませんでした。
 一方断水は、私の家ではなかったけれど、テレビのニュースなどで見る被災地などでは、断水に苦しんでいると聞きました。先ほども書いたように、私の家は一つの水道が断水とほぼ同じような状態なので、被災者の気持ちが良く分かりました。国から支給される分の水しかもらえず、不自由な生活をおくっているんだと思います。
 けれど、水もれや断水だからこそ、ふつうに生活するより水に対する感謝を覚える大きなチャンスだと思います。私の家でも水もれは、直してもらいました。そして水を出せるようになった事と、自由に水が使える事に、感謝する事ができました。じゃ口をひねれば、あたり前のように水が出る今の生活にも…。きっとそれは、被災地で復興した人達も同じように感じたと思います。そして、被災者に限らずみんなが、日本中の人が感じるべきだとも思います。
 私は、水に感謝するためにも節水を心がけたいと思います。

準特選: 川崎市立宿河原小学校  6年 保芦 楓

     水と環境と浄水場

  私が4年生の時、浄水場見学に行きました。そこで、どのようにして水をきれいにしているのかを見て勉強しました。そして私は疑問に思ったことがありました。
 「昔は浄水場なんてなかったと思うのに、なぜ今は必要になったのだろう。」
 そこで私は調べてみることにしました。
 水道が初めて出来たのは江戸時代でした。江戸時代の水道は上水とも呼ばれ、石や木で造られた水道管によって上水井戸に導かれ、人々はそこから水をくみ上げて飲料水・生活用水として使用していました。まだこのころには浄水場はありませんでした。
 明治時代、上水路の汚染や木おけがくさるといった問題が生じました。そして、新しい水道を創る声が高まりました。さらに、明治19年のコレラの大流行は、新しい水道を創る動きをとても急がせました。なぜなら、コレラ菌は主に河川や海などの水中にいて、生きた菌がその水や魚介類に移ります。それを食べたり飲んだりした人の口から感染し、その腸内で増えて大便とともに再び河川などに排出されます。それがくり返されて、水がどんどんきたなくなっていくからです。これがきっかけで、浄水場が創られるようになりました。
 私達が今使っている水は、浄水場があることで、きれいで安心して使える水になっています。
 しかし、私が以前みたテレビでは、他の国はきたない川の水を使って生活している人達がいました。そこでは、子ども達が1日に必要な分の水を川からくんできていました。その川もそれほど近くありません。1日に何往復もしていました。その水を、ご飯をつくるときの水にしていました。私はそれをみて、「こんなにきたない水でつくったご飯を食べたら、病気になってしまわないのだろうか。」と思いました。
 そういう国の人達に比べたら、日本は浄水場があるおかげで、じゃ口をひねれば、きれいで安心して使えて、飲める水が出てきます。だから私達は、とても幸せだと思います。
 そしてきれいな水を保つために自分達にできることはなんだろうと考えた時、5年の時に行った自然教室のことを思いだしました。おふろのときに使ったシャンプーとリンスは、あまりあわだたなかったけれど、自然に優しいシャンプーだと先生は話していました。
 私も、少しでも環境をよごさなくてすむ物を使っていきたいと思います。

入選: 川崎市立子母口小学校  6年 桐野 愛海

    生命(いのち)の水

  私たちがすんでいる国、日本は、じゃぐちをひねるといつでもどこでもきれいでおいしい水を飲むことができる。公園や駅などの公共の場にもじゃぐちが設置されていることもある。レストランに行けばメニューと一緒に冷えた水がだされる。日本ではこんなことは当たり前だ。しかし、そう思ってはいけない。ありがたく思わなくてはならないのだ。理由は二つある。
 一つ目は世界には日本では「当たり前」のことが当たり前ではない国がたくさんあるからだ。じゃぐちはもちろん、きれいでおいしい水がない国もある。そのような国は片道数時間もある川に行き、水をくむ人たちがいる。くんだ水を飲み、病気にかかりなくなってしまった人たちもいる。日本はそんなことをしなくても浄水場がきれいでおいしい水をつくり、水道管がその水を運んでくれる。また、レストランで水を注文しないと水が出てこない国もある。学校の先生からはコーヒーよりも冷たい水のほうがねだんが高い国があるとも聞いた。私は今まで日本では「当たり前」のことが世界でも当たり前と思っていたからとてもおどろかされた。
 二つ目は、水は生き物にとってかかせない物だからだ。人間は水を飲まないとすぐに死んでしまうし、植物は水をとり入れないとすぐにかれてしまう。水は生命を生みだす、すごいものなのだ。日本人が主食としている米も水がないと育たないし、パンの原料、小麦も育たない。私たちの食たくに必ずといっていいほどにならんでいる肉。牛や鳥やぶたなども水を飲んで生きている。もちろん野菜も水をとり入れて生きている。私たちは水で生きている、と言っても過言ではないのだ。しかし、今は水質汚染が進んでいる。きれいな水がある日本。生命を生みだす水がたくさんある日本は水質汚染の原因となる「よごれ」をたくさんだしている。昔は工場からのはいき物をそのまま川に流して、人や魚にえいきょうがあった。公害としてたくさんの人が亡くなっていったし、海ではたくさんの魚が死んでしまった。生命を生みだす水も使い方をまちがえると凶器になってしまうのだ。今はそんなことはなくなったが水質汚染は進んでいる。私は「よごれ」をださないようにちょっとした工夫をつづけていきたい。私が考えた工夫は二つある。一つ目は「よごれ」を水に流さない方法だ。例えばお皿についた油をいらない布でふきとるという方法でやれば「よごれ」を流さなくてすむ。二つ目は「よごれ」をださないという方法だ。私はお皿にレタスやキャベツをしき、料理をのせている。そうすると「よごれ」がでずに水に流すこともなくなる。
 水が豊かということに感謝し、水を大切にあつかって豊かなくらしを守っていきたい。

入選: 川崎市立子母口小学校  6年 山口 和夏

    水のありがたさ

  「きれいな水を得られること。」
 これはあたりまえのように思えるけど、実はそうじゃないと思う。理由は三つある。
 一つ目の理由は、前にテレビで見た、外国の子供たちだ。なぜなら、地域に水道がないから、片道二、三時間かけて川に水を取りにいく。歩くだけでもとてもつかれるのに、帰りは、重い水をかかえて、また二、三時間かけて家にもどる。これは子供たちの役目だそうだ。私と同いどし、私よりも少し小さい子供がこんな大切なことをするなんて。しかも川の水だから、きれいとは限らない。その水を飲んで死んでしまった人もいるという。だから、家や学校、公園にある水道はとてもありがたいものなんだと実感した。
 二つ目は、熱中症や脱水症状を予防する大切なアイテムということだ。夏になると毎日のように真夏日、または猛暑日が続く。すると、熱中症になりやすい。私も夏に運動をしたら、とてもつかれ、フラフラしてくるくらいだ。そんな時に欠かせないのは、「水。」私もこれまでに水に助けられたことは、何度もある。やはり日々水に助けられているのだから、感謝していかなければならない。
 三つ目は、災害時の不便さだ。大きな災害が起こると、その地域では水が出なくなる。そんなニュースを見ると、水の大切さを改めて感じる。食器洗いだって、洗たく機だって、トイレだって、お風呂だって、冷蔵庫だって、全て水を使っているのだから、当然できない。あと水がなくて困るのは、私たち人間だけじゃない。動物や植物もだ。動物や植物だって生きているのだから、水がなければ生きていけない、死んでしまうのだ。そんな水がない生活の不便さを感じるのは、災害時などの水が出ない時だろう。苦労するのは、私たち人間や動物、植物だ。だから、日ごろから備えておかなければならないのだろう。
 「きれいな水を得られること。」
 やはり、これはあたりまえのことではない。すなわちきれいな水を得られる私たちは、幸せなのだろう。それなのに水を出しっぱなしにしたり、無駄使いする人は、このことを分かっていないのだろうか。そんな人たちに水のありがたさときれいな水を得られる私たちの幸せさを伝えたい。そして今、私にできることを考えてみた。すると歯をみがく時に少しの間でも水を止めたり、不必要な時に水を出さないなど身近に節水できることはたくさんあった。自分のためにも、未来のためにも、節水をして、世界のみんながきれいな水を得られることを願い、水のことを考えていきたい。

入選: 川崎市立坂戸小学校  5年 指平 美咲

    水の大切さ

  みなさんは、しぼんでいるお花に水をあげると元気になった姿を見たことがありませんか。
 私は一年生の時育てていた朝顔の水やりを一日さぼってしまい朝顔のお花も葉っぱも元気がなくなってしまいました。ところが、水をあげてしばらくするとみるみる内にお花も葉っぱも、ピンと元気になった姿を見た事があります。
 では私達はどうでしょう。運動した後のどがかわいて水を飲むと、生き返ることがありませんか。この様に私達人間も植物も、水分補給が大切なのです。
 もしも、水が無ければ、どうなるかを考えてみました。まず、水が無ければ、野菜や果物、そしてお米などが育たず、しゅうかくができません。もちろん川の水や海の水が無ければ、魚がいなくなってしまいます。また、料理にも水は必要です。作物がしゅうかくできず料理ができなければ私達が食べる物がなくなってしまうのです。
 雨が降るといやだと感じることがあります。しかし、雨が降らず暑い日が続けば自然がへり、私達人間は息苦しくなると思います。作物も植物も育つために雨が必要なのです。また、こんな話を聞いたことがあります。雨が降った水をタンクにためておくと、火事が起きた時にその水を使って消火活動ができます。さい害の時は水をひなん場所に持っていき、その水でしばらく生活することができるのです。こうしたことから、雨の水も大切な役割があると改めて感じました。
 家はもちろん、学校や公園など色んな場所で手をあらいたい時に水が出る、水を飲みたい時に水が出る、そんなことが当たり前だと思って生活をしてきました。もしも、さい害が自分達の周りで起き、水が無くなってしまった時、初めて水の大切さに気づくのではないかと思います。その前に、じゃぐちをひねると当たり前の様に水が出るというありがたさを、よく考えたいです。また、川や海の水、雨の水も、私達が生きていく中で欠かせないものです。そんないろいろな水を、これからも大切に使っていきたいと思います。

入選: 川崎市立坂戸小学校  6年 吉藤 五樹

    水は貴重な資源

  普段ぼくは、水をジャブジャブ使い家族から注意を受けています。風呂での石けんのあわだてすぎやシャワーの出しすぎを言われます。注意されても、すぐに忘れ、気にせず水を使い続けていましたが、毎日読んでいる朝日小学生新聞で水についての記事を目にして、はっとしました。その記事には、「地球上の全ての水をおふろ1杯の水と考えると、使える真水はスプーン1杯分しかなく、地球のほんの一部にかたよって存在している」と書いてあり、動ようしました。
 じゃ口をひねるといつでもすぐに出てくる水を当たり前のように使っていましたが、ふだんジャーっと使っている自分の行動は、とてもやってはいけないことなのだとうしろめたい気持ちになりました。地球は水の惑星といわれており、その七十一パーセントが水でおおわれているので安心だと思っていましたが、実際は、その内の九十六・五パーセントが海水でのめる水は、たったの二・五パーセントでとても少ないと知り、おどろきました。さらに、一日に最低限必要な水は、一人あたり、二十リットルだということですが、日本ではその十倍以上を使っているのだというのです。日常生活の中で、ぼくはとてもぜいたくしていることに気付きました。
 それだけではありません。新聞には、「三十年後の二千五十年には世界の四十パーセント以上の人が水を手に入れられなくなるおそれがある。」とされていて、もしかしたら日本でも飲料水が手に入らなくなってしまうのではと一瞬冷っとしました。このままではトイレや洗面、料理などの日常生活が不可能な状態になってしまうのではないかと不安になりました。
 そこでぼくはぼくなりにできる水を守るための策を考え、次のようなことに取り組もうと思います。例えば、シャワーで流す時間を制限し、何分以内にするかを決めておく。石けんは必要な分だけにおさえ、あわだてすぎをなくしたり、うがいの時は、コップに水を入れたら、すぐにじゃ口をしめるようにします。どれくらいの効果があるのかは分からないけれど、真水を手に入れる事ができない人たちがいることを考え、自分ができる節水を続けていきたいと思います。八月一日は「水の日」です。何年先も、暑い夏の日においしい水が飲めるように、水を大切にしていきたいです。

入選: 該当者なし

中学校の部

特選: 該当者なし

準特選: 川崎市立玉川中学校   3年 原 哲平

     豊かな水と暮らしていくために

  皆さんは「持続可能な開発」サスティナブルデベロップメント(SD)を知っていますか。これは将来の生活基盤を損なわずに開発し、持続可能な社会を目指すことです。国際機関である国際連合開発企画(UDNP)では、SDを世界の国々で広めていて、持続可能な社会を目指すための十七の目標を定めています。例えば、男女差別や飢餓の根絶、世界中の人たちのために安全な水を確保することなどが定められています。これらの目標は持続可能な社会へ向けて重要な目標であり、特に水は深刻な問題を抱えています。UDNPの予想では2050年までに、4人に1人が慢性的な水不足に陥ると考えられています。
 私は、世界的な水不足が問題になっている中で、持続可能な社会を目指すためにも、もう一度水の使い方について考えるべきであると考えます。なぜなら私たちの国、日本では当たり前のように水を利用し、日々の生活の中で無駄に消費していることもあるからです。そして、世界的な異常気象や水資源の不足が問題になっているからです。
 世界的な異常気象の原因は平均気温の上昇にあります。平均気温は年々少しずつ高くなっていて、各地で平均気温が上昇することによる影響が出ています。最近ではパキスタンで高温の熱波が発生し、50度以上の気温を記録しました。そのほかの地域でも平均気温が上昇し干ばつや、少雨などの異常気象が発生しています。その結果、水資源がなくなり、他の方法で水を確保せざるを得なくなってきています。
 水資源の枯渇も近年問題になっています。地球は「青い惑星」と呼ばれるようにその大半を水が占めています。しかしながら、その中の約99パーセント以上は、海水や南極・北極の氷で、人類が使うことのできる水資源は0・01パーセントしかありません。加えて水資源の偏りにも問題があります。例えば南アメリカとアフリカを比べると、アフリカのほうは人口が約2倍に対して、水資源は南アメリカのほうが約3倍で、一人当たりの水資源の量は南アメリカがアフリカの約6倍で、大きな差があります。
 では日本ではどうでしょうか。日本も近年、異常気象に見舞われていて、今年は埼玉県熊谷市で41・1度の日本の最高気温の記録を更新しました。また、7月には西日本で豪雨が発生し、大きな被害が出ました。加えてこの猛暑や異常気象により水の消費量が増えるだけでなく、少雨や干ばつにより水資源が減りつつあります。しかし、日本人一人当たり、世界平均の約2倍の水を一日に消費しています。そして、この状態が続いてしまうと日本の水資源は枯渇してしまいます。持続可能な社会を目指すこともできません。なので、何かしらの対策が必要なのです。
 私は以上のことから、持続可能な社会を目指すためにも、もう一度水の使い方について考えるべきであると考えます。なぜなら、世界的な異常気象や水資源の不足が問題になっているからです。私は、その問題を解決するためにも、水は有限であることを念頭に置いて大切に使っていこうと思います。そして、日本も水の優れた浄化技術などを世界に広めていくべきだと思います。今後地球でずっと豊かな水とともに生活できるよう、自分ができることをしていきたいと思います。

準特選: 川崎市立菅中学校   3年 小野 夢姫

     下水道と私たちの暮らし

 私の家の近くには多摩川が流れている。毎年夏になると、鮎が遡上してくる。多摩川には多くの魚が生息しており、その魚を餌とする鳥も多く生息している。私は多摩川でカワセミを見たことがある。青くきれいな背中がすーっと飛んでいく姿を見た時には感激したのを覚えている。
 今は自然豊かな多摩川だが、1960年代の高度経済成長期には想像ができないほど汚れていた。生活排水などの汚水を多摩川にそのまま流していたためだ。それによって川面は泡で覆いつくされていた。その当時の写真を見た時にはぞっとした。1950年代まで、水産資源として多くの魚が捕れ、比較的良好だった水質が一変し、死の川と呼ばれるほど汚染された。
 多摩川の様子を知るために、代表的な水質指標がある。BOD(BODとは微生物が水中の有機物を酸化分解するときに消費される酸素の量を表したもの。)が1970年代には10mg/Lを超えた。BOD値が大きいほど水質が悪く10mg/L以上では悪臭を放つ。これほどまでにひどい状態にあった多摩川はどのようにしてきれいになったのだろうか。
 多摩川の水質改善策は主に二つある。一つ目は排水の規制である。環境基準と水質汚濁防止法が制定された。ガソリンなどの石油・薬品は流さない。取り除くことが困難なリンが含まれた洗剤はなるべく使用しない等が規制された。人の健康の保護・生活環境の保全をするためでもある。二つ目は下水道の整備である。公共用水域の水質安全の役割が示され、下水道の整備は急激に進められた。現在の川崎市の下水道普及率は99%以上である。こうして五十年以上の年月をかけて、多摩川は今までにないほどきれいな姿を取り戻すことができた。水質が改善されるまでに五十年もかかるほど、多摩川が汚染されていたことに驚いた。そして浄水の設備と技術のすごさを改めて感じた。
 多摩川の水質改善のために整備された下水道の働きはどのようなものだろうか。川崎市全域に下水道管は張り巡らされている。そして下水を集める方法は二つある。一つ目は生活排水などの汚水と雨水を別々の管で流す分流式。二つ目は汚水と雨を同じ管で流す合流式である。どちらも水処理センターに送られ、一次処理(砂やゴミを沈ませる)二次処理(細かな汚れ、水に溶けこんでいる汚れなどを微生物の働きにより分解)消毒をして川や海に流される。多摩川には下水処理のための施設が十か所もある。もう二度と多摩川が汚れないよう、さまざまな技術が施されていることに感謝したい。
 こうした設備や技術に依存することなく、私たちが川や海を汚さないための取り組みや環境保全のためにできることはないかを考えていくことも大切だ。例えば、食器についた食べ物のカスやソース、油などはふき取ってから洗う。台所や浴室の排水口にネットを張り、ゴミが下水道に流れないようにするなど日頃から意識していきたい。
 また日本の人口は減少しているのに、水の使用量は増加している。水は限られた資源である。日本は国土がせまいため、ダムなどの水資源開発は期待できない。このままでは、水に恵まれている日本も水不足になるかもしれない。日本は水に関する技術がとても優れており、安全な水を手に入れることのできない開発途上国へ設備や技術を伝える取り組みをしている。けれど、私たちもそのような国から学ばなければならない事がある。それは、節水だ。毎朝水汲みをしなくてはならない生活だったら、水の使い方は変わるのではないだろうか。私にとって蛇口をひねればきれいな水が出てきて、いつでも水が使えることが当たり前になっている。いくら技術が進歩をしたからと言って、制限なく水を使い、下水道があるからと汚水をそのまま流してはいけない。私たちはそのことを意識しながら生活しなければならない。
 私が知っている多摩川は、きれいな事が当たり前だった。今回の学びを通して、川がきれいな事のありがたさや、今のきれいな状態になるまでの多くの人達の苦労を知ることができた。自分のすぐ近くに自然を感じられる場所があると、何気ない季節の変化や生き物たちの様子に気付き、それはとても幸せなことだと思う。川に汚水を流して、川を汚す原因になるのが人間なら、きれいな川にできる技術を持っているのも人間だ。川に住み、川に集まる生き物のために、地球の環境を守ることは人間の義務だと思う。私はこれからもこの環境が続いていけるように守っていきたい。

入選: 川崎市立川崎中学校  2年 土屋 なな花

    大切な水

 私達は、毎日当たり前のように沢山の水を使っています。しかし、沢山の方々が災害にあった西日本の豪雨災害では、断水が続いたり、水不足などの水問題について報道されていたり、海外では、水を飲むにも苦労する所があったり、きれいな水を使えない所があるとテレビでやっているのを見ました。そこで、私達が普段使っている「水」について調べ、考えてみようと思いました。
 日本における一日の水使用量は、一人当たり平均で二〇〇~三〇〇リットルと言われています。これは、お風呂や洗濯など、口に入る水以外にもいろいろな場面があります。このように、私達は一日でこれだけ沢山の水を使っているのです。しかし、地球上にある水のうち、人間が使えるのはわずか0・01%です。水を風呂桶一杯分とすると、飲み水として使えるのはわずか1滴程度ととても少ないのです。さらに、全ての国が日本のようにきれいな水を沢山使えているわけではないのです。世界では、約十二億人もの人々が安全な水を確保することができていないそうです。また、汚れた水が原因だと考えられる病気で亡くなった子供も沢山いると言われています。このことから、世界には、水が充分に使えない所があり、私達が住んでいる日本は沢山のきれいな水が使える水に恵まれた国だということを感じました。
 しかし、なぜ日本は水に恵まれているのか。調べてみると、その理由の1つとして、「仮想水」、「バーチャルウォーター」と言われるものがありました。これは、食料を輸入している国において、もしその輸入食品料を生産するとしたら、どの程度の水が必要かを推定したものです。日本の仮想水輸入量は二〇〇五年時点で約八〇〇億tと、とても沢山仮想水が輸入されているのです。国内の実際の水利用量は八〇〇億tを超えていて、実際の利用量と仮想水輸入量はほぼ同じなのです。つまり、日本は食料などの輸入国として、本来国内で生産していたら必要であったはずの水を他国で支給してもらっているのです。このことから、外国での水不足などの水問題に日本は無関係ではないということが分かります。私達は水の使い方、節水について考える必要があるということです。
 正直、今まで節水と言われても、どの水も生活するのに必要なものだから私には関係ないと思っていました。しかし、よく考えてみると、歯をみがくときや手を洗うときなど、水を出しっぱなしにしている場面があります。このようなことは、家だけでなく学校でも見かけることがあります。そんな小さな事と思うかもしれませんが、小さなことを、何千人、何万人が気をつけて水道を使えば、それが沢山の水になると思います。節水は、一人一人が心がけることが大切です。私は関係ないではなく、私も少し気をつけてみように変えていきたいです。
 世界で見てみると、日本のように水を沢山使える所は限られていて、水を使えるのが当たり前ではないということを知ることができました。私達は、水に恵まれた国にいるからこそ、水を大切にしていかなければいけません。そして、一人一人が節水する意識をもち、行動にうつしていくことで、世界の水問題の解決に少しでもつながっていくと思います。私自身も、普段から、しっかりと節水する意識をもっていきたいと思いました。

入選: 川崎市立玉川中学校  3年 川島 琉太郎

    両極端な「水」

  平成三十年七月に中国地方を中心に豪雨災害が発生した。豪雨で住居が流されたり、豪雨が土砂災害を引き起こし住居が潰されたり命の犠牲者も多数出ている。人間だけでなく農作物への影響も出ており、このことは食生活にも悪影響になるだろう。
 被害を受けた人たちは「雨という水」の影響で「きれいな水」の不足に苦しんでいると新聞やニュースで報じられている。
 同じ「水」だが、一方は豊かな生活に不可欠なものであり、一方は大きな災害を引き起こす悪の要因でもある。私は今回の災害を機に、同じものでありながら両極端な事象を引き起こす「水」に興味を持った。
 今、私たちの日常生活では水道の蛇口をひねればいつでもどこでも飲むことができるきれいな水を手に入れることができる。海外では飲み水は購入するのが常識の国もあるので日本の水道はとても安心である。
 また洗濯、風呂やトイレなどで使用した水を処理できる下水道も豊かな暮らし、特に衛生的な面では不可欠な生活基盤である。
水は電気、ガスと同様に生活の重要な物理的な基盤であり、今日のようにコンピュータ技術がいくら発達しても、ゲームのようにバーチャルの世界の水では私たちの生活には役に立たないと考えている。
 したがって浄水場、下水処理場、各家庭などへの配管は地道な設備の新設、メンテナンスが持続されなければ豊かな暮らしの持続が難しくなると思う。
 環境省のホームページで調べたところ私の生まれた平成十五年と一番新しかった平成二十六年の水洗化率は87・1%から93・9%へ十一年間の間に8・6%も伸びている。このペースで整備が進めば十年後の水洗化率は限りなく100%に近づくが、山間部、へき地など物理的な要因で整備を進めることができない地域もあると思う。しかしこの数値は十分衛生面でとても豊かな暮らしができていることを意味していると感じている。このため、ひとたび自然災害が発生し浄水場・下水処理場・各家庭への配管の内、どれか一つでも崩壊すると現状の生活ができなくなるリスクがある。改めて今の当たり前の生活が豊かな生活であることに気づいた。
 JICAのホームページによると、世界にはアフリカ大陸を中心に、上下水道が整備されていない国もあることがわかった。これらの地域の人々の最大の課題は不衛生な生活環境や汚染水による病気の集団発生である。その中でも体力のない乳幼児が数多く犠牲になっており深刻な問題として捉えなければならない。
 日本は上下水道の各施設について高い技術を持っているが、これらの技術、設備は簡単には輸出できないと父から聞いた。日本には海や川など取水や排水を行う環境が整っているが、アフリカの国などは潤沢な水源がないことが課題の一つだかららしい。
 自然豊かな日本だからこそ水にも恵まれているが、反面山間部の多い日本だからこそ豪雨によって曲がりくねった川の氾濫や土砂崩れなどの被害も発生することもわかった。
 日本は人口減少の傾向にある。浄水場・下水処理場・各家庭への配管などの整備、メンテナンスは必要なことではあるが人手不足のリスクもあると考えられる。先にコンピュータ技術が発達しても、バーチャルの世界の水では私たちの生活には役に立たないと述べたが、コンピュータ技術によって水に関連する基盤をきめ細かく管理し、必要に応じたメンテナンスをタイムリーに行う仕掛けを作ることはできると考えている。
 私は技術的なことに興味があるため、時代の最先端の技術を活用してきれいな水、衛生的な生活が持続できる工夫を考えていきたい。

入選: 川崎市立玉川中学校  3年 高崎 妃華

    限りある水

  普段から何気なく、当たり前のように飲んだり、使ったりしている水。その水と人との関係はとても深いと思います。しかし、水は有限な資源であり、無限ではないという意識は、身近な物である水だからこそ、薄れているのではないでしょうか。水の大切さを知るために、水について学び、それがあることによって成り立っている自分自身、また、生活について改めて見直すべきだと感じました。
 まず、水は自分自身が生きる事に必要不可欠です。人間は一週間水を飲まなければ死んでしまいます。それほど、私達が生きる為に大切な水。日本は、水道水が飲める数少ない国の一つであり、蛇口をひねれば、飲むことのできる綺麗な水が出てきます。他国では、水道水は飲めず、ミネラルウォーターをお店で買って、飲んでいるといいます。日本は、生きる為の飲料水が、生活のすぐそばにあり、恵まれていると感じました。
 また、生きるという事以外でもさまざまな場面で水は使われているはずです。私達の普段の生活にとって、水はとても大切で、なくてはならない存在です。もし、水が無くなったらお風呂に入れません。トイレも使えません。顔を洗えません。その他にもたくさんの事が出来なくなり、とても生活ができるような状態ではありません。けれど、日本はいつでも豊かな水に恵まれ、生活が難しくなるようなことはほとんどありません。なぜ、こんなにも日本は豊かな水に恵まれているのでしょうか。それは、日本の地形と気候に関係しています。日本は、降水量が他国と比べて二倍近く多く、また、地形が山に囲まれていて、自然の力でゆっくりとろ過された水が豊富にあるため、豊かな水に恵まれているといわれています。なので、生活に使う水も日本ではたくさん、誰しもが使うことが出来ます。
 しかし、気候や地形は、今後、絶対に変わらないとはいえません。最近、ニュースで見かける、水不足は雨が降らないから起きているのではないでしょうか。山が多い地形も、ビルやマンションが建ち並べば、少なくなるのではないでしょうか。このような問題が今後生じてしまえば、日本も豊かな水に恵まれているとは言えなくなってしまいます。つまり、水は有限な資源で、無限ではないのです。それに対して、再生可能・持続可能な水開発を進める取り組みが日本で行われている。有限な資源であり、更に必要不可欠な水であるからこそ、人間が解決していかなければいけない課題なのだと感じます。今の日本で水に困っている人は少ないでしょう。しかし、それがいつまでも続くと考える事は難しいと思います。不自由なく生活している上で水が無くなれば、生活困難以上の問題に陥ってしまいます。これは、日本の研究者や環境省などだけで解決できる問題ではないはずです。私たちのように普通に生活していて、身近にある存在の水だからこそ、真剣に考え、自分達にできる対策をしていくべきだと思います。自分達の持っている知識だけでも、今後の私たちの生活に関する事なので、考えて、行動に移せば、今後、日本の水問題は変わっていくと思います。なので、水の大切さについて学び、もう一度自分自身の生活を改めてみれば自然と、水を大切にする習慣がつき、今後も深く、良い関係を水と人とで築き上げていけると私は思っています。

入選: 川崎市立稲田中学校  2年 髙橋 紗菜

    あたりまえの大切さ

  料理、食器洗い、洗濯、お風呂、トイレ、これらにかかせないもの、それは水です。朝から夜にかけてどのくらい自分が水を使っているか知っていますか。これらの水は蛇口をひねると出てくる「水道水」が主に使われていると思います。お店や自販機で売っている水よりも私たちと密接な関係にある水道水。その水道水が使えなくなる事を考えたことはありますか。私は考えたことが無かったのですが、ある日から考えるようになりました。
 七月六日、西日本の近畿地方や、四国地方を中心に記録的な大雨がありました。私の父は今年から広島県呉市に単身赴任をしていました。父が住んでいた所は幸い大きな被害が少なかったそうです。メールで父と連絡をとっていたのですが、父からされる話や送られてくる写真を見て、私は息を飲みました。お風呂場に貯められた綺麗とは言い難い濁った水、ポリ袋に貯められた水、海上自衛隊の船にシャワーを浴びに行った時の写真でした。この写真から、父が断水している事が分かります。なぜ断水していたかというと、広島県広島市の川から呉市に水を引き込む送水トンネルに土砂が流れ込み、呉市などへの供給が停止したからです。父から送られてきた写真について紹介したいと思います。
 一枚目は、お風呂に溜まったとても綺麗とは言い難い水の写真でした。それは、父が断水が始まると聞き、とっさに溜めた水道水でした。普段は綺麗な水道水が被害を受け、茶色く、赤い沈殿物があるほど汚くなってしまいました。いくら汚くても貴重な水。この水はトイレを流す為に使ったそうです。つまり断水をしていると、普段の様にトイレを流せず、流す為の水が必要になるそうです。
 二枚目の写真にはポリ袋に貯められた水が写っていました。一枚目のお風呂の水とは違い、割と綺麗な水でした。ですが、この水は飲み水としては使えませんでした。その水は近くの小学校のプールの水だったそうです。もう一枚ポリ袋に入った水の写真があり、その水は父の同僚の家にある井戸水を貰った時の写真だそうです。これらの水は頭を洗う時に使ったそうです。頭を洗うのにはたくさんの水が必要です。体を洗うとなったら更に多くの水が必要になります。なので父は、水をうまく使って頭を洗い、体は汗拭きシートで拭き、水を最低限使わずに生活をしていたそうです。
 三枚目の写真には船が写っており、その船には「さざなみ」と書いてありました。「さざなみ」について調べてみると、海上自衛隊の護衛艦だそうです。ここでは、入浴支援が行われていたそうです。「さざなみ」以外にもさまざまな艦艇で入浴支援が行われていたそうです。二枚目の写真で述べた通り、頭や体を十分に洗う事が難しい時に、このような入浴支援があったので父は「とても助かった。」と言っていました。
 この災害でおきた呉市での断水は当初、復旧の見通しが立たず、いつまで断水が続くか分からず、父は不安だったそうです。ですが、おもいのほか早く復旧したので、すぐに普段の生活に戻る事ができました。早く復旧できたのは復旧に携わった人の迅速な対応があったからだと思います。
 今回の事で感じたのは、普段の生活で使う水の量がとても多いという事です。たくさんの水を父は被災中に手に入れましたが、普段の生活ほど、自由に水は使えませんでした。普段好きな時に蛇口をひねり水を使えるのはあたりまえだと思っていましたが、それはたくさんの人のお陰で、できている事に気付きました。これからは、あたりまえに水が使える生活に感謝し、水を大切に使おうと思います。

入選: 川崎市立菅中学校  3年 米川 なつき

    水のありがたみ、水の怖さ

 水道の蛇口をひねれば、当たり前のようにでてくる「水」は、いろいろなことに使われています。毎日、トイレや洗濯、お風呂、炊事や植物を育てることなど、自然をはぐくみ、動物を育て、私たちの暮らしは「水」にあふれ、「水」によって支えられていると思います。「水」がなければ、人間・動物・植物・虫さえも地球上の生命は、存在しなかったと思います。
 日本では、当たり前のように蛇口をひねったらきれいな水がでて飲めますが、水道水を飲むことができる国は日本を含め、世界で十五カ国だけしかありません。なので、世界のほとんどの国の水道水が飲むことができません。今現在、安全な水を手に入れられない人は、世界で約六億六千三百万人にのぼるといわれています。水道水がない国では、安心して飲める水が身近になく、池や川、湖、整備されていない井戸から水を汲んでいます。その半数近くが、サハラ以南のアフリカ諸国に集中しています。多くの途上国では、水汲みは子どもたちの仕事です。アフリカ諸国だけでも、三百三十万人を超える子どもたちが、水の重さに耐えながら、毎日遠くまで水を汲みに行っています。それも、私たちと同じ位の歳の子やそれよりも小さい子どもがです。また、ある少女は、家族のために水汲みに費やす時間は毎日八時間にもなり、それでも手に入る水は、一人当たりわずか五リットル未満の茶色い水だけだそうです。そして、世界中の女の子や女性たちが水汲みに費やす一日あたりの時間の総計は、二億時間にもなるといわれています。しかし、せっかく汲んできた水でも毎日、八千にもの子どもが、汚れた水や不衛生な環境が原因で病気になり、命を落としています。こんな事は、水道水が飲める日本では、考えられることですか。ほとんどの人が考えられないと思います。また、人間は、国や地域、ライフスタイルにより大きな差がありますが、平均すると、一人一日約百八十リットルの水を使います。日本は一人一日約三百リットルと言われていて平均のほぼ二倍ほど一日で水を使っていることがわかります。日本の人は、水道水を飲むことができるのに、感謝するべきだと考えます。なぜなら、日本以外のところで、安心して水道水を飲める国が少ないということに大人は知っている人が多いかもしれませんが、小中学生は知らない人が多いと思います。それなのに日本に住む人は水がたくさんあるので、水を出しっぱのままにしていたり、水を無駄使いしている人が多くいます。日本では、安心して飲める水があることが当たり前ですが、世界には、水で困っている人がたくさんいることを忘れてはいけないと思います。
 また、水は一瞬にして人の命をうばい、生活を壊してしまう恐しい面もあることを決して忘れてはならないと思います。七年前の東日本大震災のときの津波、最近では西日本豪雨。規模は違うかもしれませんが、どちらも「水」で多くの人が命を落としています。二つとも、私の家からは離れていましたが、東日本大震災のときは私が小学一年生で、地震でも怖い思いをしたのを覚えています。まして、津波がおそってきたらもっと怖いと思います。東日本大震災のとき、実際に津波がおそってきたという友達が私にはいますが、とても怖かったと言っていました。三十年の間に関東に巨大地震がくると言われていますが、東京湾にも津波が入ってくる可能性はあります。「水」による被害は、いつ起こるかわかりません。なので、日常的に起こりうるということを忘れないようにしたいです。
 そして最後に、「安心な水」を飲むためには、水をろ過などをしなければなりません。そんな大変な工程をすべてクリアした、安全でおいしい水をいつも飲んでいるのですから、私たちはいつも「幸せ」と感じなければなりません。それだけではありません。日本で安心しておいしい水を飲めることにも感謝するべきですが、浄水場などで働いている人たちにも感謝をしなければならないと思います。皆さんは、この様に水を大切にしていますか。また、飲むときに安心のおいしい水を作ってくれる人たちに「ありがとう」と、感謝して水を飲む人がこの日本には何人いるのでしょうか。世界を見渡すと、まだまだ水が不足している国がたくさんあるというのに、日本に住む人はどのような事を考えて水を飲んだり、使ったりするのでしょう。
 一番大切なのは、生命がそして、人間が誕生してから、私たちにとってはなくてはならない「水」を大切に、これからも守り続けることだと思います。また、水を無駄に使いすぎないということです。現在、日本は、水の平均使用量が世界平均の約二倍ほどです。水を節約することができれば、水を使いすぎないということにもつながります。一人一人が水を節約すること、安心しておいしい水を飲めること、作ってくれる人に感謝すること、水の怖さを知ること、この三つが私は重要なことだと思います。

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