南武線のはじまりと戦争
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南武線むかしばなし

多摩川の砂利や奥秩父のセメントの材料を新しくできる工場に運ぶために、南武鉄道株式会社が鉄道をしきました。
1929年に、川崎・立川間の全線が開通しましたが、これが南武線のはじまりです。
砂利=小さい いしのこと

焼け野原になった(やけのはらになった)

太平洋戦争がはげしくなった1944年頃から、川崎市も空襲をうけるようになりました。
兵器をつくる工場がたくさんあったので、これらの工場や原料、製品をはこぶ鉄道が爆撃の対象としてよくねらわれました。
1945年4月15日の夜の川崎空襲では、アメリカのB29爆撃機約200機が川崎区・幸区を中心に、町中に焼夷弾1349発をおとし、川崎の中心地は空襲で焼け野原になりました。
- 空襲=飛行機などで爆弾を落としたり、機関銃で打ったりして敵地をせめること。
- 焼夷弾=木造の家を焼くのに使われた爆弾。
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