ページの先頭です

共通メニューなどをスキップして本文へ

サンキューコールかわさき

市政に関するお問い合わせ、ご意見、ご相談

(午前8時から午後9時 年中無休)

閉じる

第62回水道週間 川崎市小・中学生作品コンクール 入賞作品 作文の部

  • 公開日:
  • 更新日:

小学校中学年の部

特選: 川崎市立西丸子小学校 4年 横内 理乃

    浄水場からじゃ口まで

 飲んだり、洗たくをしたり、お風呂で使うなど生活の中で欠かせない「水」。私たち日本人はこのようなことをするときに、水道水をそのまま使うことが多いです。それは、私たちが水道水が清けつだと信じているからです。
 しかし、今年私が行ったタイという国では水道水が汚く、お風呂に水をためたら水が茶色くにごっていておどろきました。私はこんな水は飲めないと思いました。だからタイではいつもペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいました。
 それはタイの人でも同じで、水道水は飲まずにミネラルウォーターを飲むそうです。もしも水道水を飲んでしまうと、おなかをこわしてしまうそうなのです。
 日本に帰りタイの水道水について調べると、タイの水道水は浄水場ではきれいな水でも、水道管を通って家庭のじゃ口にとどくまでに、水道管の汚れによって水がきたなくなってしまう
そうなのです。私はそんなことがあるのかとおどろきました。
 日本では水道水をそのまま飲むことができます。世界に190ヶ国以上ある国々のうち、水道水をそのまま飲むことができる国はたったの15ヶ国しかないそうです。私は知らなかったけれど、水道水がそのまま飲めるということは、とてもめずらしいことなのです。このようなきれいな水道水を飲むことができるくらしは当たり前ではなく、とても幸せなことだと気がつきました。
 水が浄水場を出て私たちの家のじゃ口にとどくまでには、地下にある長い長い水道管を通ってきます。浄水場でどんなにきれいな水にしても、その長い水道管のどこか一ヶ所でもよごれていたら、もうそこを流れてくる水は飲むことができなくなってしまいます。だから、きれいな水を飲むためには水道管をきれいにたもつようにしっかり管理や手入れをしてくれる方々が
必要です。私たちはふだん水道管のことは考えていないけれど、たくさんの方々の努力のおかげで私たちは安心して水道水を飲むことができるのです。
 私はきれいな水道水を飲める生活を当たり前だと思っていました。しかし、浄水場できれいにされた水がきれいなままで私たちの家までとどくのは、たくさんの方々の努力のおかげだと
知りました。ふだんはじゃ口から出てくる水しか目にしないので、このきれいな水がどこから来るかなんて考えないけれど、遠くの浄水場から長い水道管を通って来たということを忘れな
いでいたいです。これからも私のもとにきれいな水をとどけてくださる方々に感謝し、水を大切にしてくらしていきたいです。

 準特選: 川崎市立西菅小学校  4年 鎌田 茉咲

      水について

 わたしは、小さい時から水が大好きです。なぜかというとキレイだし冷たいしおいしいからです。夏は飲むいがいにも水遊びもします。夏のとても暑い日には、水ぶろにしてよく妹と入っています。
 わたしの住む川崎市には、長沢浄水場があります。4年生のかがい授業で浄水場の見学に行きました。最初は、きたない水だったけどフロックやちんでん池を入るとキレイで冷たいお水になります。それでもまだ飲めません。まだ小さいゴミやドロが残ってるかもしれないからです。なのでろ過池で最後に、ゴミを取りのぞきます。そうしてやっと安心、安全にわたしたちは、水を使うことができます。ここまでくるのに、たくさんの人たちの手が必要となります。見学の時に案内してくれた浄水場の人が言っていた事がとても心に残っています。
 「水にはかぎりがあるんだよ。」
 わたしは、これまで水について考えたことはありませんでした。ですが、今回見学に行った事で、初めて「水」を大切にしようと思いました。お皿を洗う時も、お風呂に入る時も、顔を洗う時も水を出しっぱなしにしない。気をつけるようになってから思った事は、お母さんや妹も気をつけているようでいがいと水を使っているという事です。もちろん注意しました。
 わたしたち一人ひとりができることは小さな事かもしれません。ですが、つみ重ねが大事なんだと思います。それが自然を守るということにもつながっていくんだなと思います。

準特選: 川崎市立西菅小学校  4年 西﨑 明飛

      世界には水という飲み物があります。

 世界には水という飲み物があります。
 日本では、蛇口をひねって出るという仕組みがあります。蛇口をひねって出てくるものを水道水と言います。お店で売っている水もありますが、日本では水道水をそのまま飲むことができます。このように日本では当たり前に水を飲むことができます。しかし、世界のほとんどの国が水道水を飲むことができないようです。同じ時代でも、まだ水を簡単に飲めない国があることが、僕には信じられません。人は水を飲まないと『脱水症状』になってしまいます。脱水症状になってしまうと体の水分がなくなり体の機能がおかしくなってしまいます。脱水症状になりやすい時期は夏です。夏になるとテレビやプールなどいろいろな場所で「水分を取りましょう」という言葉を聞きます。だけど、僕のお兄ちゃんは遊ぶのに夢中になって、7月の修学旅行の前の日に、脱水症状で40度の熱を出しました。日本では当たりまえに水が飲めるので忘れてしまうから水分を取りましょうといろいろなところで言ってくれるのだと思います。
 僕は公園で喉がかわいた時、公園の水道水を飲みます。けれども、世界には蛇口を捻って水が出てきても、飲んではいけない国があります。必ず飲まなくてはいけない水を、簡単に飲むことが出来ないのです。
 水が飲めなくなってしまったら大変だから、僕は水を大切にしようと思いました。皆さんにも、水を大切にする為に、気を付けなくてはいけないと意識してもらいたいなと思いました。いつまでも、世界に水という飲み物がありますように。

入選: 川崎市立西菅小学校  4年 田中 蒼都

    水について

 みなさんは、水が、どこからきているか、知っていますか。水は、いろいろな、所を通って家に、きているんです。学校で、じょう水じょうに、見学しに、行きました。
 飲む水は、雨からできていることが分かりました。雨は、山におち、水がだんだん、下におちていき、ダムにたどりつきます。ダムについたら、じょう水場にたどりつき、水をいろいろな、ことをやって、水をきれいにします。たとえば、ロカ池に行き、ロカをしたり、よごれをとったりします。そうして、きれいになった水が、家に行きます。もし、水がなかったら、飲む水がなく、ごはんも、たけず、せんたくも、まわすことがあまりできません。お花やくだ物なども、かれてしまいます。プールやおふろも、入ることもできなくなってしまいます。こんなふうになったら、昔の人みたいに、川に行き、水をくんだり、そこでせんたくまでしなくては、なりません。そうなったら、ずっとふべんな、生活を、しなくては、なりません。
 だからぼくは、水を大切に使いたいと思います。たとえば、水だしっぱなしに、しないようにしたり、おふろのシャワーを、だしすぎないようにしたり、水とうの水は、いれすぎないようにしたり、して、大切にすることを心がけたいです。みなさんも、水を、大切にしましょう。

入選: 川崎市立はるひ野小学校  4年 渡邉 咲帆

    ひろまったらいいな川崎の水

 「水をどのように大切にしていますか?」
 そう聞かれるとあまりでてこないもの「水」はわたしたちの生活にかかせない物の一つだと思います。しかし、日本ではいつもあたり前に使っている必ずきれいで安心な水が、とどかないまずしい国もあります。
 わたしはこの前、あるテレビコマーシャルを目にしました。それは外国でふえいせいな水を飲み水にし、亡くなってしまう人がたくさんいます。しえんしてください。というコマーシャルでした。わたしはこのことを目にし、ふだん自分がどのように水を使っているかふり返りました。そうすると、このようにこまっている人たちがいる中で自分が申しわけないことをしてしまったことに気がつき、わたしにも何か出来ないか考えました。ふだんはあたり前のように水を使えるので、毎日毎日、大事に大事に使っている人はあまりいないと思います。しかし、わたしたちがコップ一ぱいでも節水をすれば、まずしい国にとどけられるかもしれません。そう思い、わたしは手を洗う時や洗い物などの時、(あっ。)と気にするようになりました。これからもつづけて一人でも多く助けられたらうれしいなぁと思いました。そして、わたしたちが安全な水を毎日飲めるのは、川崎の水を作ってくれている方々がいるからです。だからこそ大事にして、きれいな水が、世界中の人のもとにとどけばいいなぁと思います。

入選: 該当者なし

入選: 該当者なし

入選: 該当者なし

小学校高学年の部

特選: 川崎市立柿生小学校  6年 木村 心香

    水に感謝を

  私達が今、家で蛇口をひねれば、「ジャー」と水が流れて、そのまま飲むこともできるし、洗たくに使ったり、思う存分シャワーを浴びたりすることができます。外に出て公園に行けば、水洗い場があって、そこで自由に水を飲んだり遊んだりできます。レストランに行けば、当然のようにお水が出てきますし、おかわりもできます。
 このように、水は私達にとって空気と同じように、「あって当たり前」「身近にあるもの」なのです。
 でも、ある時私に、「水はそんなに当たり前にあるものではないんだよ」ということを教えてくれた出来事がありました。家族で海外に旅行に行った時のことです。レストランに入ったら、お母さんが水を注文したのです。「ジュースじゃないのに、なんでわざわざ注文するの?お店の人に言えばいいじゃん。」と、私が聞くと、「ここは日本じゃないからね。買わないと水は飲めないんだよ。」そう言われたとき、最初はとても変な気持ちでした。
 その後、ホテルで歯磨きをするときも、お母さんは私に、「うがいは買ってきた水を使いなさい。」と水を渡してきました。蛇口をひねれば水が出てくるのに、その水は飲んではいけないというのです。
 不思議に思った私は、お母さんにそのわけを聞きました。そこで、「世界中でどこでも日本のように水が十分にあるわけではない」ということ、「日本のように、無料で水を飲めることの方が珍しい」ということ、「水があっても、人が飲めるほど安全な水を作るのには、技術が必要だから、外国では、国によって蛇口から流れてくる水は飲んではいけない国もある」ということを教えてもらいました。
 それを聞いて、私はテレビで、きれいな水を作るプロジェクトの話を思い出しました。アフリカでは、きれいな水が手に入らず、きれいじゃない水を飲み死んでしまう子供がいる。そのため、日本からきれいな水を届ける支援をしている。という内容でした。
 その番組を見たときの私は、「大変だな。」と思っただけで、あまりよくわかっていなかったと思います。
 でもこのとき、私は初めて、「水」特に「きれいな水」の大切さと、そんなきれいな水をどこでも手に入れられる日本は素晴らしいし、私達はとても恵まれているということを実感しました。
 きれいな水に恵まれている私達はなかなか水に感謝する気持ちを持つ機会はありません。しかし、私はあの日からいつでもどこでもきれいな水を手に入れられていることに感謝して、この水を無だづかいしないで大切に使わなくてはいけないという気持ちが芽生えました。「水に感謝を」私のスローガンです。

準特選: 川崎市立西梶ヶ谷小学校  5年 神戸 息吹

     水の大切さ

  ぼくは、今年の夏休みに富士山に登りました。初めてなので、きんちょうしていました。けれど、他の人がいるので、登れるかもと思いました。頂上の景色はきれいなのかなと思いました。
 登っていると中、小さな売店に水が売っていました。ねだんを見ると
 「五百円!高い…。」
 ぼくは、びっくりしました。なぜかと言うと、ぼくの住んでいるところの近くの自動はん売機は水が約百円で売っているからです。
 「富士山のような高い所では、水がきちょうだから高いのかな。」と思いその日の夜は、山小屋にとまりました。夕食にカレーライスとハンバーグ、そしてコップ一ぱいの水が出ました。ぼくは、家でたくさん水を飲むので「少ないな。」と思いました。水のありがたさを感じました。
 いつもの生活の中では、あたりまえに水が出るので、あまり考えなかったけど、この山登りを通して水の大切さをあらためて感じることができました。
 これからは、水とうの水も大事に飲みたいです。また、飲み水だけではなく、水は自分達の生活にも使います。たとえば、手を洗ったり、おふろで、体を洗ったり、ぼくの好きなうどんを作る時も使います。これからは、上水道で働いている人のおかげで、この水を使っていると思いながら使いたいです。

準特選: 川崎市立柿生小学校  5年 大島 暦

     本当の幸せとは

 「妹の命を奪った水。生きるためには飲むしかなかった。」
 こんなCM を耳にしたことはないだろうか。私はこのCM を見た瞬間胸が苦しくなった。そして生活の中であたり前の「水」について気にかけるようになった。丁度その頃学校で「私にとって水は。」という授業をした。その時私は「生活に欠かせない、必要不可欠。」と答えた。でも水不足の生活をおくっている人に同じ質問をしたところ、「水は時間。」「水は希望。」と答えていた。最初は何を言っているのかよく分からなかったけど、よく考えてみると、私とは価値観がちがうのかなと思った。その価値観はどのようなことで変わっているのか調べ、考えてみた。
 すると世界中にある水は九十七% が海水で、わずか三% の水のほとんどが氷山で私達陸上生物が利用できる水はほんの〇. 〇一% 未満であると分かった。世界中の水を風呂一杯分に例えるとその中の一滴しかつかえないということだ。水をめぐって紛争もおきていた。その一方で水の消費量は年々に増えてきている。一九〇〇年から二〇〇〇年で約五倍まで増えていた。二〇二五年には世界の三分の二の人が水不足になると予測されている。また、不衛生な水しか得られない人は約七億人いて、毎日六〇〇〇人も亡くなっている。八秒に一人が亡くなっているのだ。つまり価値観というのは周りの環境からできているのだ。
 次にそのような人達のためにできる事はないか考えてみた。それは私達が水を汚してムダづかいしている事に罪悪感を持ち、料理をする時、油を流さない、できるだけ国産品を使うことがこのような人達を救えるかもしれない。と考える事だ。
 私はこの作文を書いて水に対する考えが、一八〇度変わった。書く前は「正直水はなくならないでしょ。」と思ってたけど、こうやって調べてみると水の大切さや尊さを知った。私は九十七% を占める海水が飲み水にできれば水不足は減るのではないかと思った。だが人口減少が原因で、水道管を変えたり、浄水場を修理するのができなくなり水が使えなくなるのも現実だ。海水を飲み水にするのはそう簡単ではない。さらに、水がないと植物がなくなってしまい、さまざまな環境問題も起こる。だからこそ今の若者が率先して節水を心掛けなくてはいけないと思った。今のままの水の使い方だと年月が経つにつれて悪化するばかりだ。だから小さな事でも心掛けが必要なのである。例えば歯みがきをしている時、水を流しっぱなしにしない。お風呂の水を洗たくに使う。米のとぎ汁を植木鉢にあげる。などなど。考えてみると思った以上に自分にできることがあるのではないだろうか。一人一人気付く事はちがうと思う。でも全ての人に共通していえることは「自分がやった事は誰かのためになる。」という事。それは誰かが幸せになれるという事だ。

入選: 川崎市立宮内小学校  5年 淺野 心菜

    他人事なんかじゃない! SDGs

 SDGs のスローガンは、「だれ1 人置きざりにしない」。二〇三〇年までのたっせいをめざし、十七分野の目標「ゴール」と一六九の具体的なターゲットをもうけているそうです。
 わたしの家に届く新聞、子ども新聞、川崎市だよりにこの目標がのっているのをたくさん見ました。また学校でも、エコやかんきょう問題について考えています。わたしは、このことについて考え調べてみました。
 目標六、安全な水とトイレを世界中に。だれもがみんなせいけつな水が飲め、えい生てきなかんきょうをえられる世界にします。だれもが安全な水とトイレを利用でき、自分たちで管理していけるようにしよう。
 水道をひねれば、そのままきれいで美味しい水を飲むことができ、人口分の水分をおぎなう大きなダム。日本にはこれだけの水し源があります。ところが世界には、水道がない地いきも多く、川や湖沼はかれ、農業と工業と生活とでのうばい合いを行っているような、水し源不足におそわれている国もたくさんあります。アフリカやアジアの一部では、人が生きていく上で必要とする水さえ満足に手に入らず、水をもとめて転々と移動をする部族や、毎日朝からばんまで、水場と家をおう復することで終えてしまう生活をくり返す人が今もいます。人は水なしでは、生きていけません。かん単に水が手に入る日本。かんたんに水が手に入らない一部の国や地いき。どれほどのちがいがあるか、想像したり考えたりすることも大切だと思います。
 日本には、井戸をほる技術があります。そのため、世界に井戸の作り方を教えに行っている人がいます。井戸をほって作ってあげるだけではなく作り方を教え、その地いきのみんなで井戸をほります。ただ作ってあげることは、かん単ですが、いっしょに学んだ事を他の地いきに広めていければ世界中の一日中水を運ぶだけで終わっている人や、水が原いんで死ななければならない人がいなくなると思います。ちなみに水不足が原いんで死んでしまった人が年間四百八十万人。一日では、五千人近くの人がなくなっています。井戸のそん在は、不えい生な水から発生する感せんしょうや水くみの時間を減らせ、その時間を学校に行ったり農作業をしたりできます。
 わたしは、人のためになることをするのが好きです。自分のことより人のことをゆう先してしまいます。水不そくになやまされている人がたくさんいます。わたしは、そんな人たちを助けたいです。SDGs について調べたり考えたりしてみて、これからもたくさん勉強し体力をつけ、語学力を身に付けて外国の人とコミュニケーションをとれるように努力したいと思います。

入選: 川崎市立下小田中小学校  6年  三浦 咲桜

    水とは

 みなさんは、水について考えたことはありますか。私たちは水に助けられながら生きています。私は、水について考えてみました。私が考えたことは、三つあります。
 一つ目は、水は、私たちにとってものすごく大切な物ということです。たとえば、私たちは水を飲みます。飲むだけではありません。食器を洗うとき、水で洗い流します。シャワーを浴びるとき、シャンプーやリンスなどを水で流します。ほかにも多くの所で水を使っています。では、水が無かったらどうなるでしょう。まず、飲み水がありません。飲み水がないと、生きていけません。食器も洗えません。シャワーも浴びれません。また、水があってもその水が汚れていたらどうでしょう。飲んだら、悪い物が入っているかもしれません。食器を洗うとき、汚れた水で洗うとよけい汚れがついてしまうかもしれません。このように水が無かったり、汚れていたりすると、私たちの生活に大きく関わってきます。
 二つ目は、浄水場についてです。浄水場は、私たちに豊かな水を送ってくれる場所です。浄水場がとまると、生活に使う水が使えなくなってしまいます。なので浄水場は、二十四時間止まることなく動いています。人間で表すと、心臓のような物です。水の心臓は、各家庭に水を送り出し、水をきれいにする、私たちにとってなくてはならない場所なのです。
 三つ目は、水の流れです。水は、雨となり山へふって、川に流れて海に出ます。私たちの使う水は、その水を使っています。自然のルートとは違い雨がふって川に流れて、浄水場へ行き、私たちがきれいになった水を使い、私たちが使い汚れた水を下水処理場できれいにしてから海にもどす、人間の手で汚した水は、人間できれいにして海にもどすルートで私たちの使う水は、家庭にとどきます。浄水場だけでなく下水処理場なども私たちの暮らしに大きく関係しています。
 水とは、私たちの生活には、かかせない物です。水により私たちの生活は成り立っています。そして、水を私たちの家庭に送ってくれるのは、浄水場。水をきれいにして、海へ帰すのは、下水処理場。私は、水に助けてもらうだけではなく、人と水は、支え合って生きていると思います。人は、水をいっぱい使うけれど自然の豊かさを守り、ちゃんときれいにして海へ帰す。水と人は助け合いながら生きていっていると、みなさんも感じてくれたら、うれしいです。

入選: 川崎市立坂戸小学校  5年 西方 涼子

    きれいな水が飲める世界に

 夏休み、梅雨が明けてから、毎日暑い日が続いた。水分ほ給をするために水を飲む。水道の水、コンビニ、自動販売機、レストラン。いろいろなところで安心で安全な水を飲むことができる。私は、それがあたり前だと思っていた。でも、世界には日本のようにいつでも安心で安全な水が飲めない国があることを新聞や本を読んで知った。人間は水がなくては生きていけないのに、そのような国の人たちはどのようにして水を飲んでいるのだろう。どうやってくらしているのだろうと思った。
 調べてみると、世界中で安全な水道水を飲める国は十五ヶ国ほどしかないといわれている。飲み水だけでなく、トイレやおふろに使う水もない国もあり、必要な水を子どもたちが毎日何時間もかけて川や池に取りに行くため、学校に行く時間もない。そのうえ、取ってきた水が安心、安全な水とは限らない。
 私は去年、学校のじゅ業や夏休みの自由研究で川崎市の上下水道について勉強した。私の住んでいる川崎市では上下水道がきちんと整っているので、きたない水や雨水もきれいに変えられるし、水道からいつもきれいな水がでてくる。けれど水のない国では、上下水道の設備がないため、きたない水が川にそのまま流れ、そのきたない水を口にした人たちが、病気になってしまうことがある。赤ちゃんの場合、菌がついた指をしゃぶってそこから病気になることもあるという。このようなかんきょうでの生活は私には想像がつかない程大変だと思った。そして、毎日きれいな水を飲んでいることが本当に恵まれているのだと感じた。
 調べるまでは、きれいな水が飲めない人たちのことや、世界の水不足についてあまり深く考えていなかったけれど、調べてみて水が飲めない人たちのために私にできることをもっと考えていきたいと思った。水が飲めない人たちに、直接きれいな水をあげることはできないけれど今の私にできることは、水をむだにしないこと、水のもとになる海や川をよごさないことだと思う。そのために、水を流したままにしない、おけに水をためて使う、あらかじめ新聞紙などのいらない紙でよごれをふきとってから洗うなど私にもできることを考えて、実行できるものはしていきたいと思った。いつもなにげなく使っている水をあたり前と思わず、これからも水を大切にし、水の大切さについて考えていきたいと思った。そして、しょう来世界中の人が安心で安全な水を飲める日が来るといいなと思った。

入選: 川崎市立坂戸小学校  5年 松本 歩果

    命の水

 私は、手を洗う時やシャワーの時に使わない時もずっと水を出したままにしていることがありました。
 ある時、世界にはそんなに水を使えない人がたくさんいることを知りました。そこで、水の大切さについて、子供新聞で調べてみることにしました。
 インド半島のバングラデシュでは、毎日子どもが遠くはなれた川まで行って、茶色くにごった水をくんでいます。その茶色くにごった水が家族にとってきちょうで大切な水なのです。しかしその水は、殺菌もされていない危険な水です。そのような危険な水で毎日世界中で800人もの子どもがおなかをこわし、亡くなっているのです。他にもアフリカのスーダンでは、紛争が長く続き、お父さんは戦いに行き、お母さんは、市場で働く、そのような家庭が多くあります。そのため、家事の多くを子どもがやっています。水も毎朝、子どもたちが遠くの川や池にくみに、何時間も歩いて、それを何往復もしなければならないのです。そのため毎日、学校に通って勉強もできていないのです。私たちが、学校で勉強ができていること、じゃ口をひねってきれいな水が飲めることはとても幸せなことなのです。日本は、水が豊かなだけではなく、水道技術も世界トップクラスです。そこで、その技術を海外でも役立てようとしています。ミャンマー・ヤンゴン市では東京都の技術も生かされ、水もれがめっきりへったとのことです。また、福岡県北九州市では、日本の建設会社と一緒にカンボジアで浄水場を建設して、水道を供給する計画を立てています。世界では、国と国で助け合っています。
 日本で飲んでいるきれいな水は雨から来ています。水は、家庭にとどくまでたくさんの時間をかけています。まず、雨でふった水がダムに入って川に流れ、海に行くと中で一部分が浄水場に行きます。浄水場で水をきれいにして、家庭に行きます。残りの川の水は、海に行き、じょう発して、雲となり、くり返していきます。
 調べて私が一番心にのこっているのは、世界では毎日、きたない水で800人もの子どもが亡くなっていることです。私たちには、わからない苦労をしているのに心が動きました。私たちは、その国に行って水をあげるなどのことはできないけれど水を大切に使い、子どもにもできる手助けをこれからやっていきたいです。

入選: 川崎市立坂戸小学校  6年 森 華恋

    水に感謝

 私たちはふだん、あたり前のように水を使っています。ですが、水道がない国も多く存在しています。
 そのため、毎日自分たちの力で、遠いところまで歩き、水をくんではこばなければいけません。
 また、その水をはこぶために、学校へ行きたくても行けない子どももいるそうです。
 私たちはあたり前のように水を使っていますが、その水が使えなくなったらどうなるでしょうか。とうぜん、料理もできなければトイレも使えない。洗濯やお風呂にも入れません。それほど水は大切なのです。
 八年前の東日本大震災では、水道管が被害にあい、水がじゃぐちからでなくなりました。もちろん、水分補給が充分にできなくなります。人間の体には、水が約六十パーセントから、七十パーセントふくまれています。
 そのため、水分補給ができなくなると、体の中から水がなくなり、困ってしまいます。
 もちろん水がなくなって困るのは人間だけではありません。動物や植物なども水が必要なのです。
 水がなくなれば、野菜などもそだてられないので、食料にも困ってしまいます。
 そう思うと、水がいかに大切なのか分かりますね。
 また、水の水質も問題になっています。体に害のないきれいな水でないと水はのめません。
 そのため川などの水は、よっぽどきれいじゃない限り、のめません。
 そう思うと、私たちがふだんあたり前のように水がのめるのは、とっても幸せなことだと思いました。
 また、私たちが多く水を使いすぎたらどうなるでしょうか。もちろん水不足になってとても困ってしまいます。
 たとえば、飲み物などをむだにしたり、洗ざいなどを多く使いすぎたりなどしていませんか?
 そういった些細なことでも、水不足の原因になってしまいます。ですが、私たちがちょっとでも改善すれば、水不足はおきないかもしれません。
 今はなしたように、私たちがきれいな水をあたり前のように使えることはとっても幸せなことなのです。そのため、私たちは、あたり前のように水を使えることを、感謝しなければなりません。
 なので私はこれから、水をあたり前のように使えることを感謝しながら水を大切に使っていこうと思いました。

中学校の部

特選: 該当者なし

準特選: 川崎市立塚越中学校   3年 高畑 彩葉

     命の保証

 私の一日は朝のトイレから始まる。それから顔を洗い、コンタクトをいれ、髪を整える。着替えて朝食をとり、歯を磨いて水筒に氷と麦茶を入れて部活へ行く準備をする。日本の多くの中学生の朝は私とさして変わらないと思う。特に意識せず生活しているが、朝の支度だけでも「水」がたくさん登場している。トイレや顔を洗う際はもちろんだが、寝癖を直すためや昼食の米を研ぐためにも使う。このように私達は、毎日「水」に支えられながら生きている。
 あなたは水が飲みたいと思ったらどうしているだろう。家庭によって水道水を飲んだり、飲料水を買っていたりすると思う。私は、水道水で麦茶を作り、部活中に水筒を補充しているので、水道水を飲むことが多くある。日本人にとって水道水を飲むというのは普通かもしれないが、それはとても恵まれている感覚である。調べたところ、世界では日本を含めおよそ十五の国でしか水道水が飲めない。それらの国でも都市部だけであったり、国民の多くが飲料水を購入していたり、日本ほど気軽に水道水を飲める国はほとんどない。私が三年間ほど住んでいたアメリカでは、水道水はたまに少量飲む程度で、週末に約四リットルのミネラルウォーターを運ぶのが大変だったことを覚えている。他の国で水道水が飲めない理由としては、水道管が整備されていなかったり浄水レベルが低く安全ではなかったりすることだ。それに比べ日本の水道普及率は百パーセントに近く、水道法の厳しい水質基準や検査により安全な飲み水になっている。その水を当たり前だと思っていないか。
 道徳の授業のなかで国境なき医師団のプロモーションビデオを見た。それは大学生や社会人にさまざまな場面に対して直感で答えるテストを受けてもらうという内容だった。「あなたはのどが渇きました。しかし、近くにあるのはとても汚い川だけです。どうしますか。」という質問があった。とある大学生の答えは「自動販売機を探す。」自分だったら「我慢して家に帰って飲む。」だ。でもこの場合どちらもバツだ。答えは「その川の水を飲む。」これは世界で一番新しい国、南スーダンで実際起きていることをテストにしたものだった。私は自分の能天気な答えを恥ずかしく思った。きっと南スーダンには自動販売機などないし、家に帰っても川の水以上にきれいな水はないのだろう。世界のさまざまな場所で今この瞬間、「水がないから」死んでいく人がいる。ユニセフによると約七万人の人々が安心して飲める水が身近になく、毎日八百人の子供が汚れた川のせいで命を落としている。また、水源が遠いことから世界中の女性や子供が水くみに費やす時間は合わせて二億時間だ。その時間を勉強やスポーツに使いたい子どもがたくさんいる。取れた水は茶色く濁り、泥や細菌を含んでいて下痢や病気の原因となる。それでも、「命の保証」がなくても、その水を飲まないといけない。そのような環境で生きている人々はどんな水でも大事に使っていると思う。私は自分が、それほど貴重な水を大事に使っているとは言えない。
 よくよく自分の行動を顧みると、顔を洗う時や風呂に入っている時に蛇口やシャワーは出しっぱなしだし水筒が残ったら捨ててしまっている。私が無駄にした水を何と引き換えてでも欲しい人やそれで生きれた人がどれほどいることか。道徳の授業を通して水について考えるようになって、日々の生活から感謝の気持ちを持つことと節約を意識するようになった。石鹸を立てる前に水を止めるなど小さなことからだ。もちろん節約した水が必要としている人の所に届くわけではない。でも水という生命をつくるものを十分に使うことのできる者として、日常から大切に使うことで、限られている貴重な資源を後世に残していけるのではないかと考える。部活の遠征先の学校では、水道付近に節水を呼びかけるポスターが貼ってある。見るたびに水がなくて困っている人々を想像してなるべく少量を使おうと思う。自分の学校でもそのような取り組みができればいいなと思う。
 私達にとって蛇口をひねれば出てくる「水」。世界の他の人々にとってはどれだけ汚くても飲まないといけない「水」。でも、誰にとっても生きていくために必要な「水」。私達は安全で簡単に手に入る水によって「命の保証」をされているから、ご飯をお腹いっぱい食べたり学校で勉強したりできている。だから、そのような日常をつくっている水が当たり前にあるものではないことを理解し、大事にすることが必要だ。感謝の気持ちを込めて飲む水は、水道水であろうと最高においしいだろう。

準特選: 川崎市立向丘中学校   3年 黒田 彩生

     生命(いのち)と水

 「水」それは、人間が生きていくために必要不可欠なものです。人間の体の中の水分量は大人は約60%、子供は約70%と言われています。この数値からも、水は私達の大切なものだということが分かります。
 そんな地球上の恵みである水は、料理に使ったり、お風呂やお手洗いに使ったり、勿論、水分補給として体内に取り入れられたりしています。私達の住む日本では、透き通ったように綺麗で豊かな水が生活にあり、使用しています。
 もしかしたら、発展途上国に住む人々には、そのような水の姿がありその水を当たり前のように使っている私達の生活が信じられないかもしれません。
 その水があるからこそ得ることのできる暮らしがあり、私達日本人が生き生きとした生活を送れているのです。
 春に、雪溶け水が山を流れ、樹木や草花を緑に変え、夏には海やプールなどで水と戯れ、夏から秋にかけて沢山の花が咲き、野菜や果物がなり、冬には暖かい飲み物が私達の身体と心を休ませ、癒してくれます。
 また、水はその国の風土も映し出しているのと共に、芸術も生み出します。例えば水墨画。中国から日本に伝わった水墨画は、多くの人に親しまれています。そんな水墨画には、日本と中国の絵に違いがあるのです。日本の水墨画の描法には、「にじみ」や「ぼかし」というものがあります。しかし、中国の水墨画の描法には、それらは存在していません。描く事が出来ないのです。その理由は、「水」にあります。中国の水は日本の水に比べて硬度が高く、「にじみ」や「ぼかし」を表現することは難しいのです。一方、日本の水は硬度が低く、私達がいつも目にするミネラルウォーターもほとんどが軟水です。ミネラルや鉄分などが少なく、真水に近いのです。それは、日本の風土が作り出している自然の一つなのです。
 私達の住んでいる町に川が流れ、生物が住み付いていると、水は人間だけでなく、あらゆる生命の源に必要なものだと改めて感じます。
 子供達が夏にプールや噴水などで遊んでいる姿を見かけると、本当に日本は水に恵まれた国なのだと思います。
 日本のどこの公園で蛇口をひねってもそこから出る水は全て透明で美しいです。
 日本のきれいな水は、外国人の人達にとってとても魅力的で、蛇口だけを買い、取り付ければ、その蛇口からきれいでおいしい水が出てくると思われているのです。いつでも飲める水が出てくると思われているのです。いつでも飲める水が出てくる、これは凄いことなのです。世界で安全に水道水を飲める国は十五ヵ国ほどです。
 しかし、日本でも昭和四十年から五十年頃は水質が最悪で昭和の末頃までは水道水は不評でした。そこで、行政は浄水場を改良し、「高度浄水処理施設」が誕生したことで、次々と全国に広まっていき、きれいな水が蛇口から出てくるようになりました。
 いつでもきれいでおいしい水を飲める、使える私達はとても幸せです。その裏には、おいしい水を飲めるようにしてくれた多くの人の努力や思い、そして自然の力があるからこそなのです。
 今日もコップ一杯の水を飲める事、その水があることで、とても豊かで安全な暮らしを手に入れられているのです。
 水も資源です。その自然が育んだ資源を愛し、大切にすることは、生命を愛し、大切にすることにも繋がるのです。

入選: 川崎市立塚越中学校  1年 飯田 歩

    水の飲めるありがたさ

 「なぜ、日本の水道水は飲めるのか?」と、ぼくは考えた。
 ぼくは、アフリカのザンビアにサッカーをするために9日間の旅をしてきた。その中でとてもおどろいたことが2つあった。
 1つ目は暑くても、サッカーしても、誰一人として水を飲んでいなかった。それは大人より子供の方が多かった。その子たちに「のどは、渇いていないの?」と、聞いた。すると、「いつものどは渇いているよ。でも大人には逆らえないよ。」と、言っていた。さらに地元の人は食事の時、一切水を飲まない。ぼくも食べたが、むしパンみたいな物に口の中の水分を全部持っていかれ、苦労した。ぼくたちはスーパーで1本16円の水を買って、サッカーの時も、食事の時も水を飲んでいた。上下水道が整っていないザンビアでは、水道水をぼくたちが飲むとお腹をこわしてしまう。
 2つ目は川の水が黒っぽくにごっていて水辺にはゴミがあふれ返っていた。だが、その水で洗濯や遊んだりしていた。
 ザンビアでは、水はとても貴重であり、多くの人はペットボトルの水を買うことすら出来ない。そのため、茶色がかった水道水を飲めるのは、まだ良い方だ。悪い場合は雨が降った後の水たまりの水を飲まなくてはいけない。さらにその水によって、コレラ、チフス、赤痢などの感染症になり、去年の1月には、約3000人もの人がコレラに感染し60人を超える人が亡くなったと、WHOが発表した。
 日本では水道の水でお腹をこわすことは無く、チフスやコレラにかかることはまず無い。
 行った時は乾季であり感染症に対しても雨季ほどのリスクが小さいため比かく的安全と言われていた。
 日本では水があることがあたり前だが、ザンビアではそれがぜいたくなことで、ぼくたち日本人が水や食べ物を持っているのを知るとバスの周りに子供の人だかりができて「おかしをください。水をください。」と、言ってくるので、自分たちはそれに応えるためにキャラメルやグミやポップコーンやジュース、水などをわたした。ぼくは、日本では簡単に、コンビニやスーパーに行って買えるが、ザンビアではスーパーもほとんど無いし買えるお金もないため、物乞いをするしか方法がなく、日本がどれ程、物があふれているかがよく分かった。
 ザンビアだけでなく、アフリカ諸国や中東でも同じようなことが起きている。
 それに比べてぼくたち日本人はどうだろうか。水を出しっぱなしにしたり、水だからいいやとその辺に簡単にポイ捨てしてないだろうか。
 今、自分たちがすぐに行動に移せるのは、水を飲みきったり、使ったらすぐに止める、食べのこさない、風呂の水を再利用して洗濯に使うなどが考えられる。
 自分たちがすぐできる協力は日本にある水を、大切に使うことである。
 日本の水道の水がなぜ飲めるかというと、上下水道が、良く整っていて、どこの水道も100%安全と言えるようになっているから飲めるが、他の国の上下水道は、日本よりも悪いから飲めない。
 今、世界では、深刻な水問題がある。それにJICAや青年海外協力隊などが井戸をほったりしている。もしその協力ができるのならその活動に参加したい。誰かに任せるなら自分がやったほうがいいと思ったから。

入選: 川崎市立玉川中学校  1年 石渡 克明

    きれいな水のありがたさ

 私たち人間は、水と切り離せない関係であると言える。なぜなら、私たちの体の大部分は、水分でできているからである。一般的には、人の体の六十パーセントは、水分でできていると言われている。体の中の水分量が減ってしまったら、私たちは死んでしまうということからも分かるように、人間が生きていくためには、水は絶対に必要である。
 また、私たちは、生活用水として多くの水を使っている。料理・洗濯・トイレ・入浴・掃除などである。日本は水に恵まれている。その理由としては、地形、水道管の整備の充実、ダムなど貯水施設の豊富さ、降水量、などが考えられる。
 しかし、世界的に見ると、まだまだ安全な水を確保できている地域は少なく、安全な水の確保が最重要課題として考えられている。
 世界の人口の半数以上が、水道を使えるようになったと言うが、今もまだ、六億六千三百万人もの人々が、安心して飲める水が身近にないと言われている。池や川、湖、整備されていない井戸などから水を汲んで、飲んでいる。多くの発展途上国では、水を汲むという作業は、子ども達の仕事である。アフリカ諸国だけでも、三百三十万人を超える子ども達が、水の重さに耐えながら、毎日遠い道のりを歩き続けている。水を汲み、疲れ果てた子ども達には、学校に通う時間も体力も残されていないという。しかも、毎日、八百人もの子どもが、汚れた水や不衛生な環境が原因で命を落としているという問題がある。
 水に関する環境問題として、水不足や水の汚染という問題がある。水不足については、農業で使用する水、食品や身の周りの製品を生産するための水が大量に必要なために起こっている問題である。水の汚染については、身近なところでは、トイレや洗濯に使用した生活用水に含まれる菌や有害物質による汚染や農業の化学肥料による汚染、科学物質を含む工場排水による汚染などである。私たちが生活していく上で、努力できることは、汚染して浄化する以前に、有害物質の使用を削減や禁止することで、原因を根元から絶つことが一番であると考える。そして、消費者ができることは、有害物質未使用の製品や排水処理済であることが証明されている製品を選ぶこと、節水の効果の高い製品を選ぶこと、発展途上国の上下水道の設備や水質検査を行っている団体に寄付をすること、などが考えられる。また、汚した水をすべて浄化し再利用できれば、健康被害や環境汚染を食い止められるため、高度な汚染水浄化技術や水をリサイクルする設備が開発されている。
 しかし、処理に使用するエネルギーの消費量や費用を考えれば、先ほど述べたように、原因を根元から絶つ方が効率的で良いと言える。
 今回水について考えてみて、改めて水の大切さに気づいた。先進国、発展途上国に関係なく、世界中の人々がきれいな水、安全な水を利用できるようになることを、私は心から願っている。

入選: 川崎市立西高津中学校  1年 白石 桃子

    水のある幸せ

 喉が渇いた時、手を洗いたい時などに私たちは何気なく水道の蛇口をひねるだろう。そして当たり前のように出てくる透き通る綺麗な水を使うだろう。蛇口をひねれば水が出て、飲む事だって手を洗う事だっていつでもできる。しかしそれは、決して普通の事ではなくとても幸せな事なのだ。
 世界には三人に一人約二十一億人の人が、安全な水を使う事ができていない。汚れた水や不衛生な環境がもとで、一年間に数十万人の幼い子どもの命が失われている。水不足による餓死や、降水量の多い地域でも水道の設備が出来ていない事から水たまりの泥水を飲んでいるなど、私たちには考える事すら出来ない過酷な生活を送っている人たちがいる。
 私はあるテレビ番組で、水道のない村の生活について知り衝撃を受けた。私よりも小さい十歳くらいの子ども達が水を運んでいる映像が流れた。片道六km以上ある道を、水を求め歩き続けていたのだ。その子ども達は毎日のように何L もの水を長い距離にわたって運ぶ。学校にも行けていない。村の人々はそれがどんなに辛くても毎日続ける。続けるしか生きていく方法がないのだ。私は流れる映像を見て驚きと、今の生活をしている幸せに気づいた。もしも水道が無かったら、何kmも歩いて水を求める生活をするかもしれない。日本は全国各地で適度な雨が降ることや、ダムの建設しやすい山が多いなど、水を得やすい環境であることから水道の普及率はほぼ百% と言われている。また日本は水の品質の良さも、世界の中でトップレベルとされている。現在世界で水道水が飲める国は三十ヵ国ほどしかなく、その中でも安全と認められている国は日本を含め十五ヵ国だけなのだ。海外で水道水は飲んではいけないと聞いた事があるだろう。それは日本と違い、必ずしも安全とは限らないからである。水道水だけではなく、ペットボトルの水でもお腹を壊してしまう事もあるそうだ。これらの事実から私は水を使える事への幸せと大切さを改めて感じた。では、水を大切にするにあたって私たちにできる事は何だろう。それは日々の生活の中での心がけにあると私は思った。節水もその一つである。蛇口を九十度ひねったとして、歯磨きの時など三十秒流しっぱなしするだけで、約六L の水が無駄になってしまっている。食器洗いをする時には約六十L もの水が使われる。普段水を使っている場面を意識して節水を心がけることで、水を大切にしようという気持ちも高まると思う。簡単な事だが、少なくとも私は出来ていなかった。これからは節水をしていきたいと思った。調べてみると節水の他にも私たちにできる事があった。水は決して無限にあるわけではなく限られている。なので、限られた量を大切に綺麗に使うことも求められているという。例えば、お風呂や洗面所を使う時に排水口にネットなどをつけて髪が流れるのを防いだり、シャンプーやリンスなどを適切な量だけ使うなどといった工夫ができる。炊事の場面でも、油を上手に活用し、できるだけ使い切る努力をするなどの例もある。捨てる時には、油を吸いとってから捨てることもすすめられている。私も家庭科の授業でこのことを教えてもらい、実践している。食べ残しや飲み残しを減らすことも水を綺麗に保つためになる。好き嫌いなどで食べ物を残すことは、食べ物を粗末にするだけではなく水も粗末にしてしまうという。この例のように、水を大切にする事も難しい事ではないことが分かった。
 私は今回、改めて水の大切さを感じた。今の生活で簡単に綺麗な水が使える事がとても幸せである事、私たちのような生活が出来ていない人が沢山いる事、さまざまな事実を知ることが出来た。私は節水や水を綺麗に保つ意識をもち生活していきたいと思う。そして沢山の人に、水への意識をもってほしいと思う。 しかし、処理に使用するエネルギーの消費量や費用を考えれば、先ほど述べたように、原因を根元から絶つ方が効率的で良いと言える。
 今回水について考えてみて、改めて水の大切さに気づいた。先進国、発展途上国に関係なく、世界中の人々がきれいな水、安全な水を利用できるようになることを、私は心から願っている。

入選: 川崎市立玉川中学校  1年 森 菜月

    水は世界

 あなたが思う、身近にある大切なものとは何だろうか。私は水だと思う。
 水は私たちの日常のさまざまな場面で取り入れられているのだ。
 例えば部活動で。
 「あと一セットしたら給水。」
 「はい。」
 「終わった。水道に水飲みに行こう。」
 「私も行こう。」
 我が家のご飯にも。
 「水五百ミリリットルを鍋に入れる、と。」
 蛇口をひねり、水を出す。ジャーッキュッ
 「これでよし。」
 そして怪我をしてしまったときも。
 「痛っ。」
 「すぐに水で洗って消毒しよう。」
 「うん。」
 ずぼんをまくり、傷口を水で洗う。そして絆創膏を貼る。これで応急処置完了だ。
 このように、日常生活を思い出してみるといろいろな場面で水を使っていることに気付かされるのだ。
 もし私たちの生活から水がなくなったらどうなるのだろうか。料理もできない。体も手も洗えない。トイレにだっていけなくなってしまう。水は私たちにとって必要不可欠なのである。
 昔、まだ水道管が通っていない頃は水があることのありがたさを分かっていたと思う。昔は井戸に水をくみにいったり、山の湧き水をくんだりなどしていたが今は蛇口をひねるだけで水が出る。それにより、水の大切さを忘れてきているのではないかと思う。なのでこの作文で水の大切さについて改めて考えてみて欲しい。
 もし豊かな水を得られなかったらどうなるのか。体調面でも問題がでてくる。だが今、水の問題について悩んでいる人々が、世界に二十一億人もいるのである。そしてその三人に一人が安全な水を飲むことができないという。それを知り、私たちができることは何か。それを考えて行動にうつすことが大切だ。例えば、水を出しっぱなしにしないようにしたり、お風呂の残りのお湯を洗濯に使ったりなど水を大切に使うことができると思う。これ以外にもできることはたくさんあると思うので、それを考えてみて欲しいのだ。
 なかには、水不足の国を支援する団体「ユニセフ」というものがある。ユニセフでは水不足問題の過酷さや、それによってどのようなことがおこってしまっているのか、などについて話し、支援を呼びかけている。ユニセフのインターネットのサイトには、アフリカでの水問題について掲載されている。「村には井戸がなく水源までは五キロメートルもあるため猛烈な暑さのなか、重いバケツを抱えて何時間も家と水源を往復しなくてはならない。そんな貴重な水も、ごみや病原菌で汚染されていて、村の人々を下痢や病気で苦しめてきた。アフリカの人々の生活が一変したのは二千十五年。ユニセフの支援で村に井戸がつくられることになったのだ。人々はとても喜び、みんなで材料を運んだり溝を掘ったり井戸の管理や修理のための委員会もつくられた。」とかかれていた。私たちが当たり前に感じていることで生活が一変するのだ。それに汚れた水で命を落とす子どもたちや水くみのため学校に行けない子どもたちがたくさんいる。それをしっかり考えて生活してほしい。
 みなさんはこの作文を読んで考えることができただろうか。水の大切さに改めて気付くことができただろうか。水は私たちにとって必要不可欠である。だが、世界にはそれが得られない人々がたくさんいる。そのことについてどのようなことができるか考え、それで終わりではなく行動にうつすことが大切だ。そして、水のある生活ができていることに感謝をしよう。日常では当たり前になってしまっていることをもう一度考え直し、それがどれだけありがたく大切なものなのかというのを感じるのだ。それを常に頭に入れておいて欲しい。一人一人自分なりに考え、少しでも行動することが大切だと思う。一人一人が変われば世界が変わる。水は世界の大切な宝であり、世界そののなのである。水が世界をまわし、世界をつくっているのだ。いつもすぐ近くにあると思うが、とても貴重なものなのだ。これからも水を大切に、水に感謝しながら生きていこう。そしてこの手で、水のありがたみを一人一人が考えられる世界にしよう。

入選: 該当者なし

お問い合わせ先

川崎市上下水道局サービス推進部サービス推進課

〒210-8577 川崎市川崎区宮本町1番地

電話: 044-200-3097

ファクス: 044-200-3996

メールアドレス: 80suisin@city.kawasaki.jp

コンテンツ番号112147