青銅製鰐口(市民ミュージアム)

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2004年12月8日

青銅製鰐口(市民ミュージアム)

青銅製鰐口 1口

年代

南北朝時代〔至徳4年(1387)〕

法量

面径 24.6cm
胴厚 9.7cm

所有者

川崎市

所在地

中原区等々力1-2
(市民ミュージアム)

指定

市重要歴史記念物 昭和48年3月14日指定

解説

 鰐口は梵音具(打ち鳴らして音を出すための仏具)の1つで、多くは鋳銅(銅の鋳物)製であるが、まれに鋳鉄製や金銅(銅に鍍金を施したもの)製のものもみられる。通常は神社や仏閣の軒先に懸けられ、礼拝する際にその前に垂らされた「鉦の緒」と呼ばれる布縄で打ち鳴らすもので、今日でも一般によく知られている。その形態は偏平円形で、左右に「目」と呼ばれる円筒形が張り出す。また、下方に「口」が開き、上緑部2箇所には懸垂のための「耳」を付した独特なものである。
 「鰐口」という呼称は、正応6年(1293)銘をもつ宮城大高山神社蔵の作例の銘文中に記されるのが初見である。それ以前の鰐口の銘文には「金口」とか「金鼓」といった呼称がみられることから、古くはこのように呼ばれていたのが、鎌倉時代末頃以降、「鰐口」と称されるようになったものと考えられている。江戸時代中期の医家、寺島良安はその著『和漢三才図会』(正徳3年〈1713〉自序)のなかで「口を裂くの形、たまたま鰐の首に似たるが故にこれを名づくるか」と推察しているが、実際に堂宇に懸けられた鰐口を仰ぎみる時、このように考えることは十分にうなずける。
 鰐口の現存遺例は室町時代以降の作例が多く、それ以前のものは少ない。平安時代の作例には、長野松本市出土の長保3年(1001)銘鰐口(東京国立博物館保管)の他、愛媛奈良原経塚出土の平安時代後期に推定される例があるにすぎない。
 鰐口の祖形には、韓国の「禁口」と呼ばれる鳴物が考えられているが、鉦鼓を2つ重ねたとする見方や鐃との関連も考えられている。
 さて、現在川崎市の所有にかかるこの鰐口は、大正年間に現東京都大田区下丸子付近の多摩川べりで、採石作業中に偶然に発見されたという。
 鋳銅製で、形状は鼓面の周縁を二重陽鋳線で縁取り、その内側を子持ち三条線と二重線の圏界線で、外側から外区(銘帯)、内区及び撞座区とに区画し、撞座区は無文とする。目と唇の張り出しや鼓面の膨らみは穏やかである。耳は両面式につくり、鼓面外区3箇所に型持の痕が、また上縁中央部には一文字に湯口の痕が遺る。
 銘帯に陰刻で、

青銅製鰐口(市民ミュージアム) 銘文

との銘文を左右に振り分けて記す。
 この銘から、本鰐口が南北朝時代至徳4年に、武州丸子保平馬の北方天神に覚妙とその子息によって奉納されたことが知られる。丸子保平馬は、現川崎市中原区上平間にあたる。『新編武蔵風土記稿』巻六十四に上平馬村に天神社は天王社と並んで所在すると記されているが、現在天神社はなく、上平間西福寺東北の天神台がその地であろうと推測されている。

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