「橘花(たちばな)屯倉(みやけ)ミニシンポジウム-橘樹官衙(たちばなかんが)遺跡群成立の前段階-」を開催しました
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令和6年4月27日(土)、高津市民館で「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」を開催し、260人近い参加者がありました。
“ミニ”とうたっていますが、とても濃い内容で、近年の古代史研究の進展に驚くばかり!
発表1 橘樹官衙遺跡群について(川崎市教育委員会 栗田一生)
これまで実施した橘樹官衙遺跡群の調査成果及び史跡整備について。
今後も調査研究を続け、橘樹官衙遺跡群の解明を進めます!
発表2 蟹ヶ谷古墳群の発掘調査成果(専修大学 高久健二)
専修大学をはじめとする大学等と川崎市教育委員会で2013~2023年に実施した蟹ヶ谷古墳群の調査成果について。
今年度、最終報告書の刊行を予定しています!
発表3 屯倉研究の現状と課題(星槎大学 堀川 徹)
戦前から現在までの屯倉研究について。
高等学校教科書にある「倭王権の直轄地・土地 」から「政治的軍事的拠点」「貢納奉仕の拠点」へと屯倉への理解が変化しています!
発表4 武蔵国造の乱と橘花屯倉(成城大学 鈴木正信)
4つの屯倉の比定地と橘花屯倉の役割について。
橘花屯倉は、多摩川水系・鶴見川水系の河川交通と東京湾の海上交通をつなぐ結節点の役割を担う支配拠点と考えられます。
発表5 橘花屯倉と氏族(専修大学 田中禎昭)
タチバナ地域の氏族分布と屯倉経営について。
物部氏(県守郷:高津区坂戸周辺に比定)、刑部氏(橘樹郷)、飛鳥部吉志氏、複数の異姓氏族が橘花屯倉を重層的に支配していた可能性を指摘。
発表6 影向寺遺跡と橘樹官衙遺跡群(東京医療保健大学 三舟隆之)
橘花屯倉は、周辺の荏原郡や都筑郡などに及ぶ広大な屯倉であった可能性と、影向寺遺跡は、橘樹の豪族が自らの居宅を780~790年頃に寺院として造営した可能性を指摘。
発表7 「无射志国荏原評(むざしのくにえばらこおり)」文字瓦と地域社会(専修大学 中林隆之)
古代影向寺遺跡建立の背景について。
律令政府は、屯倉経営に関わった刑部氏の歴史的功績を踏まえ、南武蔵地域での伝統的権威を承認して、刑部氏を主要檀越とする影向寺の建立を助成した。
パネルディスカッション
(パネリスト)栗田一生・高久健二・堀川徹・鈴木正信・田中禎昭・中林隆之
(コメント)新井悟(川崎市教育委員会)
仁藤淳史(国立歴史民俗博物館教授・総合研究大学院大学)
「屯倉から評へのつながり」、「屯倉とは何なのか?」、「国造制・部民制・屯倉制」等、異論はありますが、このミニシンポジウムが、いずれ 古代日本史 (高等学校教科書の記載)を塗り替える出発点となるかもしれません。
当日資料
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