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2020年3月11日

コンテンツ番号15967

(館内展示)企画展「あなたに伝えたい記録と記憶―公文書館所蔵資料から―」

第8回 戦時体制下における川崎市民の生活―宮野憲明家所蔵資料から―

【開催期間】 令和1年10月1日(火)から令和2年2月29日(土)まで


戦時体制下における川崎市について、軍需工業都市としての側面に注目が集まりますが、川崎市域には臨海部の工業地だけではなく、多くの農村部も含まれていました。工業化に伴う急激な人口増加や、それに伴う労働問題などを抱える都市部だけではなく、こうした農村部の人々の暮らしにも目を向ける必要があります。


本展示では、岡上村の宮野憲明家所蔵資料から、戦前~戦中にかけての村の暮らしに注目したいと思います。「1.戦前の村の暮らし」「2.戦時下の村の暮らし」の二部構成で、当時の状況を詳しくみていきます。特に、前半では岡上村をはじめとする村内の葬儀や町内会の役割について、後半では村内の配給の資料や標語などから当時のより具体的な生活について、分かりやすく解説しています。

 なお、本展の開催にあたり、貴重な資料を当館に寄託してくださいました宮野憲明氏、関連写真の使用をご快諾いただきました宮野薫氏ならびにご家族の皆さまのご協力に厚く御礼を申し上げます。

第7回 移り行く時代と川崎市歌―市歌の変遷とその内容―(歴史的公文書特集1)

【開催期間】 平成31年4月4日(木)から令和1年9月29日(日)まで

展示風景

本展示は、歴史的公文書を使用し展示を開催する「歴史的公文書特集(通称:歴公特集)」の第一回目の展示です。
この歴公特集では、川崎市公文書館職員が当館で所蔵「歴史的公文書」のなかから見つけた興味深い内容の資料を紹介する企画展です。
 記念すべき第一回目の歴公特集は、川崎市歌をテーマにとりあげました。
 川崎市歌は、市制10周年を記念して、昭和9年(1934)に作成されました。作詞は公募から選ばれた小林俊三氏が作成し、作曲は川崎市が高階哲夫氏に依頼しました。その後、昭和44年(1969)と市制80周年事業として平成16(2004)に市の現状にそぐわないという点から歌詞を改訂しました。本展示では3回にわたって改訂された川崎市歌の歴史的変遷を概観し、主に昭和44年改訂の際に作成された資料から改訂された状況やその過程をみていきます。
令和5年(2024)の市制100周年を見据え、市制の周年を節目に作成され、改訂された川崎市歌の歴史変遷を知ることで、より身近な歌として感じていただければければ幸いです。

第6回 川崎市内における戦時下の訓練

【開催期間】平成30年7月1日(日)~平成31年4月4日(木)まで

展示風景

 つい最近まで、北朝鮮のミサイルに備え、「全国瞬時警報システム(Jアラート)」を用いた訓練を行うというようなことをよく耳にしました。現代を生きる我々にとって、集団で行う訓練と言えば、学校や会社での防災訓練などが思い浮かびますが、歴史を振り返ってみると、太平洋戦時下においては、さまざまな集団訓練が行われていました。今回は、当館所蔵資料をもとに、川崎市内において行われていた戦時下の訓練について注目したいと思います。

関東防空演習実施ニ関スル件の画像

「関東防空演習実施ニ関スル件」
(歴史的公文書1-2-K-5『防空演習ニ関スル書類』)

 航空技術の著しい発展や諸外国からの空襲を想定し、軍は守備態勢の整備に着手しはじめました。しかし当時、軍内から官民に至るまで防空には無関心でした。そこで軍官民合同で主要都市の防空演習を行い、被害を抑えるために民防空の組織を作って訓練を行い、国民一人一人が防空の重要性を認識し、理解をもたせるようにしました。防空訓練は、昭和3(1928)年に大阪で行われて以降、各地で行われていきました。川崎市を含む関東では、昭和8(1933)年に「関東防空演習」という形で広い地域で行われました。

壮丁皆泳必成訓練実施に就いての画像

「壮丁皆泳必成訓練実施に就いて」
(歴史的公文書A432『庶務文書綴(雑件之部)』)

 徴兵検査に合格した男性には、水泳の訓練も課されました。今回展示した資料には、「泳げない壮丁(徴兵義務のある男性)を皆無にしやうと考へ」や「泳げないことは今までは個人の問題でありましたけれ共、之からは国民の一人として特に泳げる様になつておくことが必要」などの文言がみえます。戦時下のさまざまな訓練を現代に伝える貴重な資料です。
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第5回 絵図・地形図・写真からみる二ヶ領用水

【開催期間】平成30年1月4日(木)~平成30年6月30日(土)


 川崎の歴史といえば、まず思い浮かぶのは二ヶ領用水ではないでしょうか。
 家康の命を受けた代官小泉次大夫吉次によって、慶長16(1611)年、多摩川に沿って二ヶ領用水が誕生しました。以降、農業用水や工業用水として、用途は時代によって変化していきますが、約400年もの間、川崎の地と人々の生活を支え続けている二ヶ領用水。
 今回は、そんな川崎を支え続けきた二ヶ領用水について、江戸時代の絵図・明治時代の迅速測図・現在の河川図を比較しながら、その移り変わりを見ていきたいを思います。また、当館が所蔵している昭和末~平成初にかけての二ヶ領用水の風景を撮影した写真も合わせて紹介したいと思います。


「登戸村麁絵図」(旧支所・出張所(登戸村関係)所蔵文書)

 麁絵図とは、願・届書などに添えて提出する粗末な絵図・見取図・略図のことで、粗絵図ともいいます。中野島に水の取入口があり、そこから登戸村に入ります。登戸村に設置された堰は三つで、分水されている様子が分かります。


「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」

 迅速測図とは、当時の日本の参謀本部・陸地測量部が国土の詳細な地図の整備を早急に進めるため、正規の三角点の成果を基準とするのではなく、簡易的な測量法によって作成されたものです。簡易的といっても、等高線による詳細な地形表現のほか、巧みな彩色が施されるなど、日本近代地図の最高傑作ともいわれるほど見事な地図です。正式名称は「第一軍管地方二万分一迅速測図」といい、川崎や横浜周辺の地域は明治14・15(1881・82)年頃に作成されました。取水口や河川との合流地点等の様子が細かく分かります。


「平瀬川と二ヶ領本川の合流点を上流側から」(旧川崎市土木局河川部河川管理課所蔵写真)

 昭和期の懐かしい二ヶ領用水の風景を昭和50~60年代に撮影された写真から眺めていきたいと思います。これらの写真は、河川の整備改修の事前調査として撮影されたものであり、二ヶ領用水の各地点が詳細に記録されています。

第4回 川崎市域の「茶業」―明治期から現在まで―(後編)

第3回 川崎市域の「茶業」―明治期から現在まで―(前編)

【開催期間】平成29年1月4日から平成29年6月30日まで(前編)

        平成29年7月1日から平成29年12月29日まで(後編)


現川崎市域では、茶の「流通」はおこなわれていますが、茶の「生産」はおこなわれていません。しかし、明治期から昭和中期までは、現川崎市域の各所で茶の「生産」「流通」がおこなわれていました。これは、安政6年横浜開港を機に茶が輸出されるようになり、今まで茶の「生産」が盛んでなかった地域でも茶が「生産」されるようになったことがきっかけになっています。

 このように、現在の状況からは想像ができないような歴史を当館所蔵の歴史的公文書、複製古文書から掘り起こし、市民や市外の方に知ってもらいたいと考え、前編では明治時代を、後編では大正時代から現在までの現川崎市域でおこなわれていた「茶業」を紹介します。


「橘庶第1037号達」
(歴史的公文書1-2-D-1「明治23年 達書(御幸村)」)
明治23年6月5日付で橘樹郡役所から御幸村役場宛てに出された達。全国的に養蚕や「茶生産」・「製茶」が発展していることをうけ、桑茶の成長具合を取調べの上報告せよとの内容が記されています。


「日記 三拾六巻目」5月17~23日条
(当館所蔵「鈴木快輔家文書(複製本)」[「市史」60-22-6])
原資料は個人蔵。
鈴木藤助の記した「日記」のうちの明治10年5月14日の途中から23日の途中までの部分。所々に「茶こしらへ」とあり、製茶がおこなわれていることがみうけられます。

第2回 昭和期の市営交通―川崎市営電気軌道―

【開催期間】平成28年6月21日(火)~平成28年12月28日(水)


平成28年3月26日、JR南武線に小田栄駅が設置されました。

 現在市内では鉄道事業者6社(JR東海、JR東日本、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王電鉄)により15路線が運行していますが、かつて市も交通事業として市営電車(軌道電車・トロリーバス〔無軌道電車〕)を運行していました。

 今回の展示では、当館所蔵歴史的公文書、写真などの歴史資料を用い、市営電車に焦点を当てていきます。



市電は昭和44年(1969)3月まで運行していた。写真は市電廃止時のデコレーションされた車両。


「川崎市軌道建設事務所からの引継書」
(『昭和19年 市役所事務引継書』/請求番号:S19-永02)
 川崎市長が交代するにあたり、引継書を作成するため各部局から簿冊目録や、現行の事業進捗状況などがまとめられた。
 市電建設を担った川崎市軌道建設事務所からは、現在の購入車両数や、神奈川県や国へ提出する軌道建設許可申請状況を報告している。

第1回 知られざる本庁舎の歴史

【開催期間】平成27年12月8日(火)~平成28年5月31日(火)


 川崎市役所本庁舎は、昭和13年(1938)に建てられ、増築・改築を加えながら現在に至りますが、このたび耐震性・老朽化の問題から新庁舎が建てられる運びとなりました。

 そこで本展示では、当館所蔵歴史的公文書、写真などの歴史資料を用い、本庁舎の歴史を振り返ります。

昭和9年の市庁舎

昭和9年(1934)の頃の市庁舎。関東大震災により役所が倒壊し、旧川崎尋常高等小学校の古材で臨時に立てられました。

市役所位置臨時変更ノ件

「市役所位置臨時変更ノ件」
(『昭和11年 文書々類』S11-永02)
現市役所本庁舎を建てるにあたり、一部部署を除き、移動することが議会で可決されています。

 

(館外展示)「公文書館所蔵資料にみる川崎と戦争~記録と記憶~」

【展示場所】川崎市平和館・1階屋内広場

【開催期間】平成28年3月12日(土)~5月8日(日)


「川崎大空襲」は昭和20年(1945)4月15日午後10時3分に空襲警報が発令、爆撃を受け、多くの市民が犠牲となりました。

現在、空襲体験者から直接お話を聞ける機会が少なくなってきているなか、残された当時の記録などから戦争の悲惨さ、平和の尊さを伝えるために当館では毎年平和館で開催する「川崎大空襲記録展」において展示を行っています。

今回は歴史的公文書による「生田緑地と戦争」、新収集資料を用いた「戦争と俘虜管理」の2つの展示から、当時の市の事業や市民がどう戦争と関わり生活していたかを明らかにし、川崎における戦争をふりかえります。

川崎緑地計画決定ノ件

「川崎緑地計画決定ノ件」《歴公S17-永09『昭和15年度都市計画緑地事業関係書類綴』》
昭和16年(1941)5月30日に生田緑地整備事業の許可決定が神奈川県から出されました。
しかしこれは当初の緑地計画を塗り替えたもので、国の防空計画に基づいたものでした。

巣鴨日誌

「巣鴨日誌」《濱田正一家旧蔵資料17》
戦時中、川崎臨時俘虜収容所・東京俘虜収容所、南方戦場における俘虜管理統括業務に就いていた濱田正平氏の記録類のうち、戦後巣鴨拘置所に拘留されていた際の記録。他に拘置所内での裁判記録も含まれています。

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お問い合わせ先

川崎市 総務企画局情報管理部公文書館

〒211-0051 川崎市中原区宮内4丁目1番1号

電話:044-733-3933

ファクス:044-733-2400

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