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サンキューコールかわさき

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臨海部の歴史(テキスト情報)

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 国際大学グローバル・コミュニケーション・センターとの共同研究で作成したものです。

 過去の市政に関するニュース映像から、川崎の「臨海部」の当時の状況に関するものをまとめています。

(1) 「建設進む川崎港」 (昭和30年6月15日)

 川崎港は、約190万坪の埋立地に分立する大工場専用ふ頭、いわゆる工場港湾で構成されており、貨物の取扱量は年間1,200万トンで全国第2位です。

 これに対し、市は商業港として市営による公共ふ頭の建設を急いでしましたが、その一部である54万坪の埋立地には、3,000トン級岸壁が完成し、残すところは一万トン級の岸壁の完成です。一方、残る埋立予定の160万坪も着々と新しい土地が生まれつつあり、ここに大工場が立ち並ぶ日も近く、川崎の躍進ぶりが期待されます。

 

(2) 「消える大師のり」 (昭和31年12月19日)

 浅草海苔の産地として、明治4年以来続いてきた大師の海苔場が埋立工事のため明春から姿を消します。

 大師のりは、100年近くも代々受け継がれてきました。11月18日に行われた恒例ののり供養では、豊作を祈願し、経文が読まれ卒塔婆が流されました。しかし、この冬は水温が高く、祈りの甲斐もなく去年より一段と不作の模様です。

 一方、牛乳屋を開業した転業第一号の片倉さんは、まだ不慣れではありますが営業はなかなか好調のようです。

 

(3) 「活況の川崎港」 (昭和40年1月26日)

 川崎港では、川崎の海の玄関として、また京浜工業地帯をバックに控えた大工業港として、年間貨物取扱量4千万トンを超え、石油、石炭、機械製、雑貨など工業原料や製品が陸揚げされ、船積みされています。

 市営公共ふ頭では、輸出される自動車の船積みが行われています。ふ頭には、2万トン級の船が横付けできる岸壁が3か所あり、現在、大型専用岸壁の建設時工事が行われています。こうして、整備、拡充が進む市営ふ頭は、川崎経済の発展を支えています。

 

(4) 「市民の港を建設」 (昭和47年11月28日)

 川崎港を国際貿易港として発展させる一方、市民の港を建設しようと、市営ふ頭で起工式が行われました。

 この市民の港は、現在の川崎港沖700メートル先の海域を4,150平方メートルの広さに渡って埋め立てるもので、総工費はおよそ1,278億円を要し、昭和52年7月の完成を目指しています。この川崎新港には、700~2500トンクラスまでの船が着岸できる、合計39バースの岸壁の他、工場の移転用地、海浜公園などの憩いの場、海洋科学博物館、総合貿易センターなど、幅広い計画が盛り込まれています。

 

(5) 「新時代へつながる海底トンネル」 (昭和55年1月15日)

 昭和47年から始まり、80%の埋立が完成した東扇島。川崎港は、新しい市民の港として生まれ変わろうとしています。川崎区千鳥町と東扇島を結ぶ海底トンネルは、長さおよそ2キロメートル。東扇島では、近い将来、緑豊かな公園や水族館の建設も予定されていて、海底トンネルの開通によって今年からは、埋立工事も急ピッチで進むことになります。

 

(6) 「港から見る21世紀の川崎」 (平成13年1月15日)

 地上51メートルの川崎マリエン 展望室では、1月1日恒例の”初日の出鑑賞会”が開催されました。

 マリエンがある川崎港は今年開港50周年、京浜工業地帯の中心にあり、これまで石油、鉄鋼、自動車産業など日本を代表する企業を支えてきました。今後は、市民スポーツ、レクリエーション、教育など市民が楽しめる港づくりを目指し、その中心が港と市民を結ぶ川崎マリエンです。川崎港の歴史が学べる資料展示室、同時通訳ができる会議室や展望が素晴らしいスカイレストランなど市民の施設としても21世紀を歩んでいきます。