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称名寺

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2018年7月20日

称名寺

住所

幸区下平間183

交通案内

JR南武線「鹿島田駅」下車、徒歩10分

地図

解説

 称名寺は、平間山歓喜院と称する浄土真宗大谷派の寺院で、応永元年(1394)に亡くなった圓山によって創建されたといわれています。
 当寺には、赤穂(あこう)事件で著名な赤穂浪士47士を描いた紙本着色四十七士像(市重要歴史記念物)が所蔵されています。
 赤穂事件のあらましは次のとおりです。元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役の播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、江戸城松之廊下で高家筆頭の吉良上野介義央に切り付けたため、即日内匠頭は、田村右京太夫家に御預け・切腹、御家断絶、城地返上という決定が幕府よりくだされました。その結果、赤穂藩は解体されることになり、藩士は総て浪人となりました。浪人となった藩士の内、大石内蔵助良雄以下47名は藩主内匠頭の恥をそそぐため、翌元禄15年12月14日夜から15日にかけて吉良邸を襲撃して上野介を討ち、その首を泉岳寺の内匠頭の墓前に供えたあと、幕命によって細川家などに預けられ、元禄16年2月4日全員切腹し、泉岳寺に葬られました。
 この事件によって、浪士たちは義士であるとの評価が高まり、文学や演劇など多くの作品に取り上げられ、特に近松門左衛門の『基盤太平記』や寛延元年(1748)の竹本出雲による『仮名手本忠臣蔵』によってさらに有名になりました。
 本図は、縦117.3cm、横16.7cmの柱掛風の小品で、黒の印半纏(しるしばんてん)を着て、右手に槍を持って坐している大石内蔵助良雄の下に、左右対称風に46名が細密精緻に描かれています。下部には「延享甲子仲冬日鷹峯閑人賛」の銘と「日上幸川」の朱文方印があり、本図が延享(えんきょう)元年(1744)に日上幸川によって描かれたことがわかり、この時期の基準作例として貴重です。

所有指定文化財

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