延命寺
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住所
幸区都町4-2
交通案内
JR「川崎駅」西口から川崎市バス川74系統「都町」下車、徒歩約2分
地図
解説
稲作を農業の中心としてきた日本では、水は必需品であり、神に降雨を祈る風習は古代より行われており、『日本書紀』や『風土記』にもすでに雨乞(あまご)いの記事がみられますが、中世の記録や物語にも村人の共同祈願の代表的なものとしての雨乞いの記事がみられます。
江戸時代に武蔵国橘樹(たちばな)郡南河原村(現在のJR川崎駅西口一帯の地域)と呼ばれていた地域においても、江戸時代に雨乞いの行事が行われており、当時使用された用具類のうち獅子頭、請雨経曼陀羅(せいうきょうまんだら)並雨乞獅子由来、太鼓及び大皿など(市重要郷土資料)が円明山宝蔵院延命寺に伝えられています。
延命寺に伝えられている『雨乞獅子由来』と『新編武蔵風土記稿』をもとに考察してみると、当地において雨乞いの行事が定着したのは、寛文8(1668)年以降のことと考えられます。
寛文8年という年は、江戸幕府が川崎宿に御救米700俵を下付しておりますので、川崎周辺では干魃(かんばつ)による被害が相当あったものとおもわれます。
南河原村の雨乞いは、はじめに延命寺の住職によって請雨経の修法が7日間行われた後、村人による獅子舞が村中及び川崎宿などを練行するというものでしたが、大正年間には行われなくなってしまいました。
獅子舞に使用されていた獅子頭は小振につくられ、宝珠獅子は朱漆で、剣獅子・巻獅子は黒漆でそれぞれ彩色されており、風流系三匹獅子頭の形式につくられています。また、3頭の獅子頭の口角部には装飾が施されていますが、このような例は稀です。制作年代は、江戸時代中期と考えられます。
所有指定文化財
コンテンツ番号44