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早野横穴墓

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早野横穴墓の線刻画(騎乗する人物。小池汪氏撮影)

地図

解説

 横穴墓とは、戦時中の防空壕のように丘陵斜面に穴を掘り、その中に死者を葬った古墳時代の墓の一種で、市内では多摩川や鶴見川に面した斜面から群集して発掘されています。時期的には、7~8世紀ごろに盛んにつくられました。
 この横穴墓が発見された早野は、鶴見川の支流、谷本川(やもとがわ)の中流付近に位置しています。川崎市が墓地公園として建設している山林中の「七ツ池」付近から昭和47年(1972)に偶然に発見されました。
 発掘調査の結果、この横穴墓は副葬されていた土器(須恵器(すえき)等)の年代から判断して、7世紀中葉に築かれたものであることがわかりました。
 早野横穴墓の最大の特徴は、横穴の奥壁等から線で刻んだ絵(線刻画)が認められたことです。奥壁中央には、太い眉毛(まゆげ)とあご髭(ひげ)をたくわえた人物顔面が、そして、その下側には人物顔面と疾走する馬5頭が描かれ、うち1頭は、あきらかに人物が騎乗した状況を描いています。
 特に中央の人物顔面の表情は、男子埴輪(はにわ)や墨書人面土器に酷似していますので、この線刻画が後世の戯画でないことがわかります。
 では、これらの人物・馬の線刻画の背景をどのように考えたらよいのでしょうか。
 平安時代初期に編纂(へんさん)された『延喜式(えんぎしき)』には、武蔵国には馬を飼育し優駿を朝廷に献上するための御牧(みまき)が四か所あったと記され、その一つに石川の牧があげられています。早野と石川の牧が存在していたと推測される横浜市青葉区の元石川とは、直線距離にすれば3kmほどの地理的環境にあります。そこでこの横穴墓の被葬者としては、図柄から推測して、馬と関連した牧の管理者クラスが浮かび上がってきます。このように早野の山林中には、古代の墓と現代の墓とが時代を越えて築かれているわけです。

お問い合わせ先

川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課

〒210-0004 川崎市川崎区宮本町6番地

電話: 044-200-3306

ファクス: 044-200-3756

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