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戒翁寺(殿様の墓)

  • 公開日:
  • 更新日:

殿様の墓(五輪塔)

住所

麻生区早野777

交通案内

小田急線「柿生駅」北口から小田急バス柿22・23、東急バス柿23系統「早野」下車、徒歩5分

地図

解説

 早野にある戒翁寺近くの御堂山(おどやま)に、土地の人から「殿様の墓」といわれる石造五輪塔(ごりんとう)が4基造立されています。
 この墓の被葬者は、土地の人々以外にはあまり知られていないようですが、江戸時代の後期に書かれた『新編武蔵風土記稿』などの史料により、戦国大名の後北条氏の家臣で小田原落城後、徳川家康の家臣となった富永重吉とその一族の墓であることがわかっています。江戸時代の初めには旗本が自分の領地に陣居をかまえ死後も領土内にある菩提(ぼだい)寺に墓を造る例が多く知られています。土地の人々との結びつきが深かったあかしといえましょう。
 塔の高さは、1.85mから2.30mの大型の五輪塔で、石材はいずれも伊豆・真鶴方面に産する安山岩製とされています。
 4基ならんでいる五輪塔のうち2基は、一石五輪塔と呼ぶ形式で、構造上、市域の一般に見られるものとは異なるものです。
 全体を一石で造る様式の五輪塔は、小型のものが多く、分布的には、近畿地方を中心に多く見られることから市域ではめずらしい遺品です。
 構造的には、五輪の各部を別石で造るのが本来のものですが、多くの場合上部の空・風輪と呼ぶ部分を同石で造るのが一般的となっています。
 形態的な特徴に宝珠の形をしている空・風輪と呼ばれるとんがり帽子の先端や火輪と呼ばれる笠の四隅を尖らし先端をそらせるなど江戸時代の特徴をよく表現しています。鎌倉時代の均等のとれた作品にくらべて全体の釣合は失われ下部に彫られている蓮座は誇張して浮彫られていますが、市域における江戸時代初めに旗本が造った大型の墓石の代表作の一つとして、また、江戸時代の名主の墓の大きさが90cm程度であったのと比べると壮観な感じと権力の偉大さを印象を深く感じさせる五輪塔といえましょう。

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