稗原古墓群 A地点古墓出土火葬骨蔵器
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火葬骨蔵器
稗原古墓群 A地点古墓出土火葬骨蔵器 1組2箇
附 和同開寳 1枚
年代
奈良時代~平安時代 ※和同開寶伴出。
法量
身部器高 23.8cm、蓋部器高 10.3cm
所有者
川崎市
指定
市重要歴史記念物 平成9年4月22日指定
解説
遺跡は標高90m前後をはかる台地の南斜面にあり、付近からは鶴見川・平瀬川に注ぐ湧水が幾筋もみられる。耕作中、3回にわたって火葬骨蔵器が出土している。
資料は、昭和29年に発見されたものである。骨蔵器は有蓋で、土師器甕を使用している。その形態的特徴からわかるように、身部・蓋部とも骨蔵器用に特注された、いわゆる「専用型骨蔵器」である。身部は、口縁部がやや内湾し、口唇部はほぼ直立した状態で立ち上がる。胴部はゆるやかなカーブをもって底部に移行する。器面全体に輪積み痕が残り、整形は粗雑である。器壁は厚く、特に底部にいくほど厚くなる。蓋は、鉢あるいは坏の形態で、やや大振りであるが胎土や焼成等から判断して身部とセットで製作されたものであろう。全体的に粗いつくりで、上部はへラ削りをおこなっているが、凹凸は激しい。骨蔵器内の火葬骨から、被葬者は青年ないし成年で、成年であれば女性的と鑑定されている(註)。火葬骨に混ざって、和同開寳の銅銭1枚が出土している。和同銭は火熱を受けているので、携行したまま荼毘に付されたものであろう。
本資料は、日常容器の転用品でないため製作時期の比定が難しいが、和同銭が出土しているので、推測の方法はある。つまり和同銭の銅銭鋳造が、和銅元年(708)~天平宝字4年(760)までであるから、骨蔵器としての使用も8世紀前半頃とみるのが穏当であろう。
和同銭を収納する目的については、(1)冥界の主に土地を買う代金として携行した(2)生前における富力を来世に証言する意図で携行した(3)墓となる土地の神を鎮めるため、等が考えられるが、和同銭を身につけたまま荼昆に付されているので、可能性としては(2)がもっとも高いものと考えられる。
このように本遺跡例は、皇朝十二銭を随伴する専用型骨蔵器の事例としてきわめて高い資料的価値を有している。
伴出 和銅開寳
註:百々幸雄氏の鑑定による。
百々氏のご教示によれば、火葬骨の場合、骨が凝縮するので、性の判明は信頼度がおちるという。そのため「◯◯的」という表現にした。
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