有馬古墓群 後谷戸グループ古墓出土火葬骨蔵器
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中央左から No.2・No.3及び土師器坏
有馬古墓群 後谷戸グループ古墓出土火葬骨蔵器 3組3箇
附坏 19箇
年代
平安時代
法量
No.1
身部器高 27.8cm
No.2
身部器高 38.0cm
No.3
身部器高 37.8cm
所有者
川崎市
指定
市重要歴史記念物 平成9年4月22日指定
解説
遺跡は有馬川の上流にあって、標高約45mをはかる南に延びる舌状台地の基部付近に位置している。本資料は、昭和28年に耕作中に発見された。
資料は、土師器甕を使用した「転用型骨蔵器」1箇と相模型の土師器長胴甕を使用した「転用型骨蔵器」2箇(発見時は3箇)、それに付随する土師器坏19箇が一括して出土している。詳しい出土状況は不明であるが、唯一、「底部を上にして伏せた土師器3個(但し1個は小破片になっていたため当初の埋葬状態はあきらかでない)を囲繞して同じく伏せられた20個近い土師器坏を伴っていた」という関係者の記録が残されている。
土師器甕(No.1)は、全体的に磨滅が進んでいるが、口縁部は「コ」の字状で口唇は外反する。
火葬骨については不明。時期は、9世紀後葉であろう。相模型の土師器長胴甕の2箇(No.2,No.3)は、形態・法量・焼成等がきわめて酷似している。
表面の整形痕は明瞭でないが、口縁部から頸部にかけては横ナデ、それ以下は縦方向に櫛目状の沈線が認められる。 胴部下半の内面には、段状になった明瞭な接合痕が認められる。焼成はよくない。火葬骨については不明。時期は、9世紀前半に位置しよう。この長胴甕を囲繞していたとされる土師器坏19箇は、いわゆる南武蔵型の範疇で、相互の形態・法量・焼成等は酷似する。口縁部は横ナデ、胴部はロクロ使用による段をもち、全体的にゆがんだ形態をしている。底部は糸きり後へラ削りを行っている。時期は、9世紀前半で長胴甕と同じ時期であろう。
相模型の土師器長胴甕2箇(発見時は3箇)とそれを囲繞する南武蔵型土師器坏19箇の出土状況が記録化されていない点は惜しまれる。おそらく長胴甕内には火葬骨、囲繞する土師器坏19箇には、忍び寄る精霊を饗応する供物が盛られていたのであろう。資料自体の特徴はもちろんのこと、その出土状況も注目される貴重な事例である。
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