下原遺跡縄文時代後・晩期出土品
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台付浅鉢形土器(安行3c式土器)
高坏形土器(安行3d式土器)
獣骨製装身具
年代
縄文時代後期・晩期
法量
一括
所有者
川崎市
指定
市重要歴史記念物 平成22年4月27日
内訳
1 土器
縄文時代後期
- 称名寺式土器
- 堀之内式土器
- 加曾利B1式土器
- 加曾利B2式土器
- 加曾利B3式土器
- 曽谷・高井戸東式土器
- 紐線文土器
- 安行1式土器
- 安行2式土器
- コブ付土器(新地式土器)
計713点
縄文時代晩期
- 安行3a式土器
- 安行3b式土器
- 安行3c土器
- 安行3d式土器
- 大洞B式土器
- 大洞B-C式土器
- 大洞C1式土器
- 大洞C2式土器
- 大洞A式土器
- 大洞A’式土器
計1,069点
その他
縄文時代後・晩期 38点
2 石器
- 石鏃201点
- 石鏃未製品4点
- 石槍1点
- 打製石斧58点
- 磨製石斧35点
- 打製石包丁3点
- 石錘16点
- 礫器7点
- 削器9点
- 掻器5点
- 石錐28点
- 楔形石器2点
- ハンマー11点
- 砥石26点
- 軽石4点
- 磨石49点
- 凹石1点
- 敲石11点
- 石核2点
- 独鈷石1点
- 石冠2点
- 石棒5点
- 石剣28点
3 土製品
- 土偶49点
- 耳飾46点
- 土版36点
- 土錘18点
- 土製丸玉2点
- 土製勾玉1点
- 土製紡錘車1点
- 土弾2点
- 土製円盤1点
4 石製品
- 岩版5点
- 石製玉1点
- 石製装身具4点
5 骨角器
- 骨鏃3点
- 骨角器14点
- 角器17点
- 骨器1点
6
- サメの歯1点
- 獣骨鹿角片多数
解説
下原遺跡は、多摩区長尾7丁目12・18に所在し、多摩川右岸の多摩丘陵上に立地しており、東名高速道路の建設に伴う事前の緊急調査として、昭和40年から41年にかけて3次にわたり、下原遺跡調査団(団長:和島誠一)によって発掘調査が実施された。
この遺跡からは縄文時代晩期の豊富かつ多種にわたる出土品が検出されており、それらが縄文晩期の社会と生活の解明に果たす役割は大きく、このような内容を有する遺跡は、市内において唯一であり、その出土遺物の有する意義は大きい。
- 第1次調査
昭和41年3月3日~3月31日
南関東地方でも発掘事例の少ない縄文時代晩期の遺跡であることが明らかになった。 - 第2次調査
昭和41年3月2日~3月13日
縄文時代晩期の竪穴住居址の一部を確認。 - 第3次調査
昭和41年3月14日~5月24日
縄文時代後期から晩期前半に及ぶ2軒の竪穴住居址、54基の墓壙群、2列のピット群が発見され、市内唯一の縄文時代晩期を中心とする集落の一部が明らかになった。
なお、本遺跡の発掘調査は、現在のような土木工事に伴う緊急発掘調査のための行政対応や調査体制が整う以前の調査で、不十分な調査費用や工事と平行するといった劣悪な調査環境にもかかわらず、学術目的を最優先にした調査が進められるとともに、「発掘ニュース」という手作りの看板を調査現地に掲げるなど、”市民の考古学”を標榜していた調査担当の和島誠一やその薫陶を受けた学生たちの熱意と努力によって進められたところに大きな特徴がある。
縄文時代晩期の遺跡は、川崎市のみならず、神奈川県内においても、数が非常に限定されている。
しかも、発掘調査などによって内容が把握されている遺跡は、さらに限られる。そうした中で、下原遺跡は昭和40年代初期に学術的な意識をもって調査が行われた遺跡である。
調査によって、縄文時代から古墳時代におよぶ遺構・遺物が出土したが、とりわけ縄文時代晩期の集落跡の発見は特筆される成果であり、その重要性は遺跡調査数が増加した現在においても変わらない。調査では縄文時代晩期の2軒の住居址、54基の墓壙群、掘立柱建物跡と思われるピット列などが検出されている。
下原遺跡から出土する土器は、縄文時代早期から認めることができるが、大多数は晩期に属するものであり、とりわけ晩期中頃の安行3c式から3d式土器の占める割合が高い。この時期は、関東地方の伝統的な土器型式が消失する直前の段階に相当しており、遺跡数もこの段階以降、減少する。
下原遺跡の出土遺物は、そうした縄文社会の衰退過程の研究に際しても重要な意義を有している。
在地土器のほかに、他地方の土器群も多種出土しており、東北地方、南関東地方、中部地方、東海地方、関西地方、北陸地方などの土器製作技術の伝統が保持されたものと、模倣されたものの両者が認められる。他地域との直接・間接的な関係を示すものであり、晩期社会に関する考究に際しても重要な意義を有する。
他地方との関連を示す遺物としては、ヒスイ製の勾玉や玉類が認められるほか、製塩土器の出土が注目される。ヒスイは新潟県糸魚川周辺で産出されたものであり、北陸地方との直接・間接的な交易の存在が推測される。製塩土器は、茨城県霞ヶ浦周辺の晩期遺跡で多量に製作されている。製塩土器が海岸から距離のある下原遺跡でも制作され、使用された可能性も全く否定できないが、移入されたものである場合、土器だけでなく、塩そのものが交易の対象だった可能性も示唆される。
土偶、独鈷石、石冠、石棒、石剣、土版、岩版といった精神性を示す遺物や耳飾や玉類などの装飾品も、調査範囲に比して出土量が多い。
土製品・石製品のなかには漁労用と推定される土錘・石錘の出土も多い。後期から晩期へかけて出土量が増加する遺物で、本遺跡の場合も同様の傾向が認められる。
台地上の遺跡から出土することの少ない骨角器や骨片が多数出土しているが、これらは火を受けたことにより残存したと考えられる。これらが火をうけた背景としては、火災のほか、火を用いた儀礼行為の存在が考えられる。
なお、縄文時代晩期前半の土器の胎土21試料中10試料からイネのプラント・オパールが検出され、当該期の下原遺跡においてイネの栽培が行われていたことが明らかになったことも特筆される。
お問い合わせ先
川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課
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