東光院
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木造兜跋毘沙門天立像
住所
麻生区岡上217
交通案内
小田急線「鶴川駅」下車、徒歩約12分
地図
解説
小田急線鶴川駅で下りて、世田谷町田線を東京側へ少し戻り、岡上跨線橋を渡ると鬱蒼(うっそう)と繁った森の中に東光院があります。
東光院の創建の時期についてはわかっていませんが、江戸時代につくられた『新編武蔵風土記稿』には、「開山開基は詳らかにせずといえど、天正の頃(1573~1592年)までに十一代に及ぶ」と記されています。
当寺には江戸時代に建築された本堂(18世紀頃)、位牌堂(享保3(1718)年)、仁王門(18世紀頃)、庫裏(くり)、書院などの建造物の他、市重要歴史記念物に指定されている木造兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)が伝えられています。
兜跋毘沙門天像は多くの場合、西洋風の鎧を身につけ、頭には兜を付け地天の上に立ち、左右に邪鬼を配する姿に造られています。
また、この像の多くは平安時代につくられており、関東では、東光院と南足柄の朝日観音堂だけにしか伝えられていません。
当寺像は、髻(もとどり)を結い、左手は屈臂(くっぴ)して宝塔を掲げ、右手は屈臂して腹前で戟(げき)を取り、身に鎧を着、地天の上に立つ姿につくられています。構造は、頭・体躯・地天を一木から彫出し、背部に内刳(うちぐり)を施しています。面部は丸く、釣り上がった眼に太い眉や高い頬骨、腹や腰を太くつくり、足を開いて立つ姿に守護神の力強さがうかがわれますが、全体に素朴な印象を受けます。制作年代は平安時代と考えられています。
なお、東光院の近くの阿部原と呼ばれている地区から、軒丸瓦・軒平瓦・鬼瓦・「荏」「国」と書かれた文字瓦などが発見されており、岡上廃寺の跡と考えられていますので、当地には古くから仏教文化が伝えられていたとおもわれます。
所有指定文化財
コンテンツ番号115