仲町遺跡

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2018年7月20日

柄鏡形の敷石住居跡

柄鏡形の敷石住居跡

住所

麻生区片平3-27-1

交通案内

小田急線「柿生駅」下車、徒歩15分

地図

解説

 わが国の土木技術に関しては、古代よりすぐれた文化遺産を遺していますが、一方の石造技術についても古墳の石室や城の石垣等に注目すべきものがたくさんあります。その点で、河原石を適宜に配した縄文時代の配石遺構は、わが国の歴史上に最初に出現した石造記念物といえます。
 麻生区片平の公園内に保存されている仲町(なかまち)遺跡もその一つです。
 この遺跡は、昭和45年(1970)に発掘調査されたもので、それは半地下式の竪穴(たてあな)の床面(ゆかめん)に扁平な河原石を敷き詰めた住まいの跡でした。その平面形は、直径4mほどをはかる円形の居住部分に菱形の張り出し部(出入り口)がついたもので、平面形が近世の和鏡・柄鏡(えかがみ)に類似しているところから、考古学的には柄鏡形住居跡と呼んでいます。住居がつくられた時期は、発見された土器から判断して、縄文時代中期末の今から4,000年ぐらい前と推測されています。
 住居内からは、土器のほかに打製石斧・磨製石斧・石皿・磨石(すりいし)などの生活用具が一緒に発掘されています。
 この柄鏡形住居跡は、縄文時代中期末に関東地方から中部地方にかけて突然出現し、以後、後期にかけていろいろな形に変化しながら引き継がれていきます。しかし、何故この時期に発展したのか、その謎は解明されていません。一説には、この時期は気温が冷涼化し、もっとも重要な食糧源である植物食が枯渇したので恒常性のある石造記念物を造って真摯(しんし)に祭祀(さいし)し、いわば低成長期の社会不安を乗り切ったという考えもあります。
 いずれにしても、現在の私たちは床に石を敷いた住居での起居はとうてい耐えられるものではありません。はたしてこれが、この時期に流行した一般的な住居であったのか、あるいは特別な意味がこめられた建物であったのか、議論はまだまだ続くでしょう。

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