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王禅寺と禅寺丸

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2014年5月23日

禅寺丸柿の原木

禅寺丸柿の原木

住所

麻生区王禅寺940

交通案内

小田急線「柿生駅」から市営バス溝17・柿04、東急バス柿01系統「日立研究所下」下車、徒歩3分

地図

解説

 王禅寺は、慶安3年(1650)年に王禅寺僧快尊が著した「王禅寺聖観世音菩薩略縁起」によれば、孝謙天皇(718~770)の勅命によって某大徳が武蔵国都筑(つづき)郡二本松で発見した聖観音像を当地に祀ったのにはじまるとされています。

 中世には、久良岐(くらぎ)郡金沢(現在の横浜市金沢区)称名寺の末寺として、禅・律・真言の三宗兼学の道場として栄え、戦国時代には小田原の北条氏によって都筑郡麻生(あさお)郷に30貫文の寺領が安堵され、関東の高野山と呼ばれていました。

 柿生(かきお)の地名のおこりとなったといわれている禅寺丸柿は、鎌倉時代前期にあたる建保2年(1214)に、王禅寺の山中で発見された日本最初の甘柿とされ、王禅寺本堂前の庭には、禅寺丸柿の原木(国登録記念物/かながわの名木100選)が現在も保存されています。

 禅寺丸柿の発見から150年あまり後の応安3・建徳元年(1370)、朝廷は元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めの兵火により灰燼と帰した王禅寺の再建を称名寺の等海上人に命じました。用材をもとめて王禅寺の裏山に入った等海上人は熟した柿の実を見つけて口にしたところあまりに美味であったため、寺に持ち帰り植え、村の人々にも栽培を勧め、近隣にまで広めたといわれています。

 近世には、江戸の市場へも出荷し、年間100両ほどの売り上げとなり、村人の貴重な現金収入源となっていました。

 禅寺丸柿の原木の傍らには、王禅寺の自然を愛し度々訪れ『王禅寺に想う』(昭和10年)を執筆した北原白秋(1885~1942)の句碑が建立されています、この句碑には白秋自筆による「柿生」の句が刻まれており、昭和42年11月2日に白秋の門人「白菊会」の人々によって建立されたものです。

 

参考文献:柿生郷土誌刊行会「ふるさとは語る-柿生・岡上のあゆみ-」平成元年

      柿生禅寺丸柿保存会「会緒禅師丸柿記念誌 郷柿誉悠久 柿生に生まれた川崎の禅寺丸柿」平成17年

     浜田利明「王禅寺村」昭和63年 

所有指定文化財

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