禅寺丸柿

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2018年7月20日

禅寺丸柿の原木

ぜんじまるがき

指定本数

7本

所有者

王禅寺他

所在地

麻生区王禅寺940他

登録

国登録記念物 平成19年7月26日登録

解説

 カキノキは、中国、韓国を原産とし、東アジアの温暖な地域に分布するが、その中で甘ガキは日本の特産である。伝承によれば、禅寺丸柿は、鎌倉時代前期にあたる建保2(1214)年に現在の川崎市麻生区王禅寺地内、星宿山王禅寺の山中で発見されたとする。また、発見から約150年後の応安3(1370)年に、元弘3(1333)年の新田義貞の鎌倉攻めの兵火を被り消失した王禅寺の再建のための用材を求めて寺の裏山に入った等海上人が、柿の熟しているのを見つけ、あまりにも美味であったため、持ち帰り、村人に接木をして栽培させるとともに、近隣にも栽培を広めていったと言われている。

 約100年後には横浜地域や南多摩地域にも栽培は広がった。東京都調布市佐須の都天然記念物である「禅寺丸古木」や、同じく調布市深大寺の市天然記念物「禅寺丸古木」などは、禅寺丸柿の栽培の広がりを示すものといえる。当初、禅寺丸柿の名称は王禅寺丸柿と呼ばれていたが、元禄時代頃に現在の禅寺丸柿の名で呼ばれるようになったと言われている。
 禅寺丸柿は慶安元(1648)年頃から、江戸に出荷され始めた。文化7(1810)年の「新編武蔵風土記稿」の下麻生(川崎市麻生区)の項には「此辺村毎に柿の木をうえ実をとりて余業とす」、王禅寺村(麻生区)の項には「ここにても柿の木をあまたうえてその実尤美なり、江戸にて禅寺丸柿と称するものは此所の産なり、もと王禅寺丸と唱ふべきを上略して禅寺丸と称す云」と記述されている。その他、金程村(麻生区)、諏訪河原村・末長村(川崎市高津区)、井田村(川崎市中原区)の項にも、産物としての柿の記述があることから、当時、広く禅寺丸柿が栽培され、江戸に出荷され現金収入の大事な産物となっていたことがわかる。
 明治になってからも、土地の重要な産物として、東京へ出荷されている。明治20(1887)年の麻生区の7ヶ村に限った資料では、348トンもの出荷が記録されている。
 明治22(1889)には、町村制施行により、黒川・栗木・片平・五力田・古沢・万福寺・上麻生・下麻生・王禅寺・早野の10ヶ村が統合されて柿生村が誕生するが、新村の名称は、柿の生産がすこぶる多いことから来ている。
 明治42(1909)年10月には、禅寺丸柿が明治天皇に献上されているが、この柿は樹齢300年といわれる柿で、この度登録された7本のうちの1本である。
 明治時代の末には道路事情の改善や鉄道の発達により、関東地方はもとより、名古屋方面まで禅寺丸柿は出荷され、最盛期を迎える。大正10(1921)年の柿生村の生産量は938トンに達している。また、大正14(1925)年の神奈川県の調査では、県内の柿の栽培品種では禅寺丸柿が55%を占めており、市場でよく流通していたことがわかる。禅寺丸柿が一世を風靡した事例の一つに、池上本門寺のお会式に出る店で水菓子として禅寺丸柿が昭和初期まで評判を呼んでいたことが挙げられる。しかし、その後は、新しい柿の品種の登場や、都市化の進展によるカキノキの減少などにより、昭和40年の後半には市場から姿を消し始め、現在では市場への流通はなくなった。
 このような状況にあって、平成7(1995)年に地元の人々の熱意と努力により、地域の名産である禅寺丸柿の恩恵や歴史的価値を守るために、柿生禅寺丸柿保存会が結成された。保存会は原木の手入れや、小中学校や公園への植樹活動、各種イベントの開催、苗木の地域住民への贈呈などを行うとともに、平成9(1997)年には禅寺丸柿ワインの製造販売も行い、禅寺丸柿を次世代に引き継ぐ活動を行っている。平成7(1995)年の保存会調査では、禅寺丸柿は約2779本、同平成16年度調査では、2,202本現存している。
 登録記念物選定にあたって、原木以外については幹周1.5m以上で、樹高7m以上の個体859本のうち、樹勢のよく、所有者の同意の得られた6本が選定された。

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