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高津の歴史

 

高津の歴史
多摩川と鶴見川の分水界を東西軸として
川崎市中部に位置する都市、高津
高津区は川崎市のほぼ中央に位置する人口216,347人の都市です。(2010年9月1日現在)
江戸時代から二子の渡しを中心に、大山街道沿いの二子から溝口にかけて発達し、丘陵部には社寺が点在し、その周辺には農村地帯が広がっていました。また、この高津の地は、大山街道と水系の軸として重要な二ヶ領用水の結節点でもあり、その二つの軸が出会う大石橋周辺が、かつての高津のまちの中心部でもありました。

1925(大正14)年の二子橋の架設、1927(昭和2)年の玉川電気鉄道(現在の東急田園都市線)の溝の口駅への乗り入れと南部鉄道の開通を契機に市街化が進みました。昭和初期には軍需産業の進展に伴い、武蔵溝ノ口駅周辺に精密機械や自動車部品など工場の進出が目立ち始め、同時に勤労者向けの住宅開発が進み市街化が加速しました。

第二次大戦後は、東京への通勤圏として渋谷に鉄道で直結する立地条件から住宅の需要が大きく、大規模な土地区画整理事業により大規模住宅団地の開発が進みました。同時に東急田園都市線の鷺沼駅以西への延伸や第三京浜道路、東名高速道路の開通など、急激な都市化を支える都市基盤の整備が進められてきました。

高度経済成長期の住宅中心の市街化に続いて、1979(昭和54)年市民プラザ、1989(平成元)年にかながわサイエンスパークがオープンし、さらに溝口駅周辺では、1997(平成9)年に再開発により大型商業施設が立地するなど、高津区の中心となる市街地となってきています。
高津区航空写真(2003年) 高津区航空写真(2003年)

高津区の環境資源

高津区は、南に広がる下末吉台地地域と北側の多摩川方向に開けた平坦地で構成されています。
久末などの農地や、崖線にそった緑(斜面緑地)が多く残っており、多摩川や平瀬川、矢上川、二ヶ領用水などの水系にも恵まれています。
しかし、1960年代以降の活発な宅地開発により2007年には、川崎市の樹林地や農地は、1955年の18.3%まで減少しました。
高津区に残されている緑は、ほとんどが斜面地に存す る樹林地であり(2008年3月時点、68.8ha)、こうした樹林地をはじめとする、多摩川河川 敷の緑地、久末、二子・諏訪、久地・宇奈根地区に残る農地や果樹園など、貴重な緑を保全 することが求められています。
また、緑の減少に伴い、生物の生息・生育空間も減少し、 生態系への影響も懸念されています。

高津区の主な環境資源 高津区の主な環境資源

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