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橘樹(たちばな)官衙(かんが)遺跡群の国史跡指定を国の文化審議会が答申しました!

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2014年11月22日

本市初の国史跡へ!

 国の文化審議会が、11月21日、文部科学大臣に対し、川崎市が全国的にも貴重な歴史文化遺産として重点的に保存・活用を進めてきた橘樹官衙遺跡群について、7~10世紀の地方官衙の実態とその推移を知る上で重要な遺跡であるとして、新たに国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました!

 (橘樹官衙遺跡群の一部は、すでに川崎市重要史跡「千年伊勢山台官衙遺跡」として保存活用されてきましたが、今回はより広い範囲で指定となりました)

 

橘樹官衙遺跡群とは?

 橘樹官衙遺跡群は、古代武蔵国(むさしのくに)橘樹郡の役所跡である「橘樹郡衙跡(たちばなぐんがあと)」とその西側に隣接する郡寺跡である「影向寺(ようごうじ)遺跡」から構成されています。

橘樹郡衙跡

橘樹官衙遺跡群(正倉跡)

 平成8年に実施した千年伊勢山台北遺跡の発掘調査で、東西方向に整然と並ぶ7棟の掘立柱建物跡が発見され、橘樹郡衙の正倉と推定されました。

 平成10年度~16年度に橘樹郡衙推定地確認調査事業を実施し、高津区千年の台地上の広域にわたって橘樹郡衙の正倉や郡衙に関連する多くの掘立柱建物群が確認されましたが郡庁は明確には確認することができませんでした。

橘樹官衙遺跡群(一番古い時期の倉庫跡)

 橘樹郡衙の正倉跡は、都が平城京に遷都される以前の7世紀後半から8世紀に造営され、奈良時代の8世紀前半に整備・拡充木を迎え、9世紀前半から中ごろの縮小・終焉期を経て、平安時代の9世紀中ごろには千年の丘から姿を消したことがあきらかになっています。

 今回の国史跡指定にあたっては、文化庁や専門家の指導によって、確認調査で範囲・建物の内容や変遷などがあきらかになった正倉跡が国史跡指定の対象となります。

影向寺遺跡

 昭和52年度から5ヶ年間計画による影向寺総合調査で、発掘調査によって寺院が創建される以前に建てられていた橘樹郡の有力者が関与している可能性の高い、掘立柱建物跡や塔の基壇、中世の土塁などの遺構が確認されています。

影向寺遺跡出土の軒丸瓦

 影向寺薬師堂保存修理工事に伴い、昭和62年~63年度に薬師堂の基壇の記録調査を実施し、創建以来の金堂跡、本堂跡が現在の薬師堂の位置にあったことがあきらかになっています。
 度重なる影向寺遺跡の調査によって、古代の影向寺は橘樹郡衙の正倉が造営された頃の7世紀後半~8世紀前半に創建されたと考えられ、奈良時代の8世紀中ごろには金堂に加えて塔などの伽藍が整備され、南関東地方の拠点的寺院となりました。
 平安時代以降、衰退と復興を繰り返しながらも、今日まで連綿と法灯をつたえてきていることが分かっています。

今後の計画

保存管理計画の策定

 史跡を適切に保存・管理していくための基本方針や方法、土地の公有地化の進め方、整備等の将来構想などについて、今後計画を作っていきます。

 計画の策定にあたっては、学識者・市民からなる委員会を設置し、適宜説明会を実施し、地域住民との合意形成を図っていきます。

整備・公開・活用について

 史跡を確実に保存しながら、史跡の内容をわかりやすく伝えるための展示や施設(ガイダンス施設、トイレ・駐車場など)の史跡整備を行うとともに、日常的な点検や維持・管理が必要です。

 歴史学習や観光等の資源として整備するとともに、市民と連携した活用事業を進めていきます。

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川崎市 教育委員会生涯学習部文化財課

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