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長弘寺

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長弘寺本堂の画像

本堂

住所

幸区南加瀬3-24-16

交通案内

JR・京浜急行「川崎駅」西口から臨港バス川54系統「元住吉」行き、「南加瀬原町」下車、すぐ

地図

解説

 長弘寺の宗派は浄土真宗で、開山を宝心(ほうしん)といいます。宝心は、鎌倉郡小菅ヶ谷村長光寺の13代住職でしたが、故あって元和7年(1621)に稲毛領加瀬村の現在の場所に寺を移しました。
 今の本堂(市重要歴史記念物)は安永4年(1775)4月に落成した建物で、大工は北加瀬村の青山忠八です。彼は了源寺(りょうげんじ)本堂の造営にもたずさわっています。本堂の屋根は、もと寄棟造(よせむねづくり)・茅葺(かやぶき)で、向拝(ごはい)は銅板葺でしたが、昭和31年(1956)に現在の入母屋造(いりもやづくり)・瓦葺の屋根に改修されました。その際、正面の肘掛窓に火灯(かとう)形の枠(わく)を付けています。
 本堂は正面柱間5間(背面は7間)、側面柱間6間半の規模で、正面1間に向拝が付きます。平面は真宗本堂に特有の形式です。それは、前面に前廊下(まえろうか)と信徒のための広い外陣(げじん)をとり、それより奥の床を一段高く上段構(じょうだんかまえ)に造って、その中央を内陣、両脇を左右の余間(よま)とする形です。これにより建物に奥行きを与え、内陣の聖性が強調されます。内陣と左右余間の床は、もと松の板敷でした。内陣の仏壇は古式な三つ並(ならび)仏壇ですが、本堂の背面になく、半間前に出た位置にあるのは珍しい形です。内陣正面は漆(うるし)障子の両折戸(もろおりと)と金箔仕上げの牡丹(ぼたん)の彫刻欄間(らんま)で飾り、その前一間通りに、もと矢来(やらい)(柵)を立てていました。
 矢来上部に架けた大虹梁(だいこうりょう)は見所の一つであり、これにより外陣に奥行きと立体感が与えられています。
 意匠面では、天井、組物(くみもの)、欄間に装飾性豊かな技法が見られます。しかも、部屋の格に合わせて、それらを変えています。中心の部屋である内陣と外陣中間(なかのま)は折上格(おりあげごう)天井、組物に出組斗栱(でぐみときょう)を組み、蛇腹(じゃばら)形の支輪(しりん)を付けて、組物の間(中備(なかそなえ))に均斉のとれた板蟇股(いたかえるまた)を置いています。一方、左右余間と外陣両脇間は格天井、前廊下は鏡天井とし、組物はともに出三斗組(でみつとぐみ)で、中備に同じ板蟇股を置きます。また、各部屋境に花組子(はなくみこ)と朽木(くちき)形の格子欄間を多用するのも特徴で、全体に華やいだ室内を造っています。

本堂平面図

本堂平面図画像

所有指定文化財