調べ物相談(レファレンス)
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レファレンスとは?
公文書館では、皆様の研究や調査にあたって、当館所蔵の資料を効率よくご利用いただけるよう、主に川崎地域に関する質問や資料調査の相談を受け付け、関連する資料や情報などを紹介しています。
レファレンスを申し込む際には、次の点に留意してください。
1 質問の内容を整理し、わかる範囲で具体的にお願いします。
2 調査の重複を防ぐため、すでに調べてある資料や、どこまでわかっているのかも具体的にお知らせください。
3 調査内容により、日数を要する場合もありますので、あらかじめご了承ください。

レファレンスを申込むにはどうすればいいの?
1~5のいずれかでお申し込みください。
1 電子メール 17koubun@city.kawasaki.jp(注1)(携帯電話からのメール送信はご遠慮ください)
2 ファックス 044-733-2400(注1)
3 郵便 右記宛先へ(注1) 〒211-0051 川崎市中原区宮内4-1-1 川崎市公文書館レファレンス担当宛
4 電話 044-733-3933(注2)
5 直接、当館1階窓口(事前に御連絡ください)(注2)
(注1)1~3は下欄に添付の『レファレンス申込書』に記入して各方法でお送りください。
(注2)4~5での受付は開館日の午前8時30分から午後5時まで

回答はどのようにもらえるの?どの位かかるの?
回答は原則として、電子メール、ファックス又は電話とします。
回答にかかる日数について、受付け時に内容を確認して、およそどれくらいかかるのかをお知らせします。
また、お知らせした日数よりさらにかかる場合は、おってご連絡します。

レファレンスで回答できない事はありますか?
次のような事項のレファレンスには応じていません。
- 人のプライバシーを侵害するおそれのあるもの
- 医療・法律相談などの専門的な判断・診断を要すること
- 懸賞問題やクイズの解答
- 古書・古文書・美術品の骨董的価値の鑑定や評価
- 外国語で書かれた資料等の翻訳
- 具体的な調査手段のない記事や写真などの調査
- その他、公文書館として回答に適さないと判断したもの
- 古文書解読ご依頼の場合、そのことにより発生する利害関係の責任を当館では負いかねます。
ご不明な点がありましたら、まずは電話、メール等でお問い合わせください。

今までどのようなレファレンスがありましたか?(FAQ事例集)
例1
Q 二ヶ領用水の歴史について知りたい。
A 『川崎市史』(通史編2)第三章に「稲毛川崎二ヶ領用水と多摩川」があります。この元資料として山田蔵太郎著『稲毛川崎二ヶ領用水事績(前編)』、『同(後編)』及び『稲毛川崎二ヶ領用水の先覚―小泉次太夫・田中兵庫の事績について―』(ともに市史編さん資料)をご覧いただけます。
例2
Q 過去に川崎区藤崎付近で大きな竜巻が起きたことについて、詳しく知りたい。
A 当館保存のマイクロフィルム中「読売新聞」(昭和23年8月3日紙面)の「川崎に大竜巻」の記事から読み取ることができます。また、当館所蔵の歴史的公文書「災害関係書類綴」に災害後の支援に関する記載の文書があります。
例3
Q 市域の液状化現象についての想定や地質の資料があれば知りたい。
A 市政資料「川崎市における地震被害の想定について」及び「神奈川県地盤地質調査報告書」や市のホームページ「地質図集・ボーリングデータ」、また他施設(独立行政法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター)のホームページから資料をご覧いただけます。
例4
Q 昭和初期に川崎区の大師公園付近に遊園地があったことが記された古い地図を見たが、遊園地が本当にあったのか、また当時の都市計画との関連を知りたい。
A 歴史的公文書の昭和10年「都市計画庶務書類」に大師公園を調査した記録があり、当時は池・ブランコ・滑り台のほか運動場や小鳥・猿の飼育、豊かな樹木を有し、将来的に築造する、との記載があります。同年に緑地保存や新設公園計画を実施していることから、公園を遊園地にする計画であったようです。
例5
Q 明治〜昭和25年ごろまでの工事契約の実態を調べるため、市の土木・建設工事の工事請負書を見たい。
A 明治〜昭和初期までの資料で歴史的公文書の扱いになります。例として大正10年「村会会議録及び議決書」、明治30年「郡役所令達書」など該当資料をご覧いただけます。
例6
Q 田中休愚は、支配勘定格として、3万石を担当したとされているが、何故町奉行である大岡越前守(忠相)の配下に置かれたのか、また、町奉行にそのようなことが可能だったのか知りたい。
A 大岡越前守は、享保7年(1722)~延亨2年(1745)町奉行とともに地方支配も任ぜられており、享保14年(1729)7月に田中休愚が大岡越前守の配下となっています。また享保期は勘定所の改革期でもあり、大岡越前守と勘定所が並存して地方を支配していたことから、大岡越前守の地方支配は、勘定所が確立するまでの臨時組織としての性格が強かったとされています。(『関東近世史研究』第11号より)
例7
Q 第二次世界大戦時の東部六十二部隊についての資料がほしい。
A 『川崎市史』(通史編4上)に書かれた東部六十二部隊の元資料として、歴史的公文書の昭和17年「向丘村雑書綴」の一部を公開していますので、ご覧いただけます。
例8
Q 川崎市の空襲犠牲者数を知りたい。
A 川崎市として、空襲犠牲者数を公式に公表している人数はございません。 参考資料としては、アメリカ国立公文書館所蔵「米国戦略爆撃機調査団報告書」によると死者1520人、負傷者8759人、国立公文書館所蔵「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」によると、死者1001人、負傷者1524人、昭和35年に川崎市が発行した「川崎戦災復興誌」によると、死者768人、負傷者14972人となっており、人数がそれぞれ異なるため、川崎市平和館で毎年開催している「川崎大空襲記録展」においては、死者を約1000人としております。
レファレンス申込書
コンテンツ番号47799
