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新川崎・鹿島田地域

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鹿島田駅前

 鹿島田はJRの南武線と横須賀線沿いに位置する細長い地域です。町内には南武線鹿島田駅と横須賀線新川崎駅があり、横浜・川崎・東京方面への交通に便利な場所で、1日に約8万人もの利用があります。また、中原区から続く二ヶ領用水が親水用の水路として町内を縦断しています。
 「鹿島田」という名の由来は、鹿島神社に寄進された田のある土地、というところから来ていると言われています。

鹿島田・新川崎駅前

サウザンドモール

 鹿島田・新川崎駅駅前は川崎の副都心としての開発地域となっています。居住地区のパークシティ新川崎やサウザンドシティに加え、ツインタワーを擁するビジネス地区の新川崎インテリジェントシティが立ち並び、2004年にはサウザンドモールがオープンするなど、今後も更に発展していく地域として注目されています。

インテリジェントシティの中のツインタワー

二ヶ領用水

 昭和12年における日吉地区の合併問題の際、北加瀬・南加瀬・小倉・鹿島田の4字が団結して川崎合併に賛成していたのは、「稲毛・川崎二ヶ領用水組合」の一員であったことが大きく影響していました。
 二ヶ領用水の歴史は江戸時代までさかのぼります。時の将軍、徳川家康から江戸近辺の治水と新田開発を命じられた小泉次大夫(こいずみじだゆう)が、慶長二年(1597)に多摩川の下流右岸(川崎側)の二ヶ領とと左岸(東京側)の二ヶ領を合わせた四ヶ領の用水の建設を始めて、約14年の歳月をかけてついに慶長十六年(1611)に完成させました。二ヶ領とは当時、稲毛領・川崎領の二つにまたがっていたことに由来しています。
 その約100年後、改めて用水路の整備を任された田中休愚(たなかきゅうぐ)は、多摩川の堤防工事などをてがけるとともに、村民に対して用水維持のための「作法書」を配布して用水の再整備をはかりました。
 水の取り入れ口は中野島と宿河原の二ヶ所で、全長32km・江戸時代後期には60ヶ村に引水して、各農地の水田を潤していました。北部から流れてきた用水は川崎堀とよばれる本流から各村へ枝分かれしていました。南加瀬・小倉方面へはかつて、日吉中学校の隣から県道大田神奈川線沿いを流れた加瀬堀や、日吉小学校の脇から小倉用水を経由して小倉池まで通じた用水路などが整備されていました。

二ヶ領用水

中原区から鹿島田堰まで

二ヶ領用水
鹿島田堰

ここから大師掘(左)と町田堀(右)へ

 幸区に流れ込んだ川崎堀は、鹿島田村の堰から古川村・大師河原村へ流れる大師掘と、矢向村・小田村へ流れる町田掘の二つの用水路にわかれていきました。鹿島田堰は平間浄水場と南武線の線路の間にあります。川崎堀は現在護岸整備がされていて、水路の両脇には見事な桜並木が続きます。

大師掘

大師掘

大師堀
大師堀

 鹿島田堰を左に分かれた大師掘は、現在親水化事業により整備されています。民家の
間を縫うように流れる水はサウザンドシティの東側を通り、下平間小学校に流れ着いて
下水道に落ちています。

町田堀

町田掘

町田堀
町田堀

鹿島田堰を右に分かれた町田堀は、下平間地区整備事業の一環として親水化されて
います。南武線沿いを流れる水路は新塚越の町田堀ふれあい公園まで続いています。

二ヶ領用水 水文化都市川崎の創造

お問い合わせ先

幸市民館日吉分館
電話:044-587-1491
ファックス:044-587-1494
メールアドレス:88hiyosi@city.kawasaki.jp
住所:〒212-0055 川崎市幸区南加瀬1-7-17

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