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旧岩澤家住宅

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2010年6月7日

旧岩澤家住宅

旧岩澤家住宅 1棟

建築年代

江戸時代中期

規模

桁行14.5m 梁行7.3m

構造形式

入母屋造、茅葺

所有者

川崎市

所在地

多摩区枡形7-1-1(日本民家園)

指定

県指定重要文化財 昭和61年11月28日指定

解説

 岩澤家住宅の旧所在地は丹沢山塊東麓の山あいの地、神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷である。相模川の支流・小鮎川の段丘上に立地し、名主も勤めた家柄という。現在の主屋の建立年時を示す資料はないが、17世紀末頃と推定されている。屋根は移築前は寄棟造だったが、入母屋造に復原されている。
 間取りは神奈川の古民家の主流である広間型3間取で、土間(ダイドコロ)と床上3室からなる。生活の中心であるザシキは桁行2.5間が通例だが、当家は3間で、これは上層農家の格式を示すものである。ザシキの前面2間を格子窓とするのはこの時代の関東の古民家に共通する。デエは客座敷だが、床の間はなく、かわりにヘヤとの境に押板を設ける。県内の古民家では、押板はザシキとヘヤ境のザシキ側に付けられるのが通例だから、この形式は特異である。また土間の妻側に格子窓を設けるのも類例が少ない。主屋表側の外壁はデエの部分だけ半間後退させ、上屋柱筋に建具を入れている。こうした構えは、この半間幅の下屋を客座敷の玄関として扱ったことによるらしい。正面上部の2間とばしの枕梁に製材した木を用い、しかもそれを虹梁に似せたり、あるいはこの枕梁の中央に乗る下屋の繋梁を同じく虹梁型にするのも、客座敷の出入口の格式付けのためだったのだろう。ただ、出入口の装置として不可欠な式台や縁の痕跡は発見されなかったので、座敷から直接外に出る形に復原されているが、おそらく低い置縁のようなものが据えられていたのではないかと思われる。このデエも含め、天井はすべて竹簀子天井で素朴である。
 四周の半間幅を下屋とする構造だが、県下に一般的な四方下屋造とは異なっている。通常の四方下屋造ではやはり四周の半間幅を下屋とするものの、上屋柱の立つ位置は下屋柱筋より1間内側である。これに対し、岩澤家では下屋柱筋より半間内側に上屋柱を立てるから、上屋・下屋の違いがきわめて明瞭である。こうした構造は東北地方などに多くみられるが、県内では津久井郡や愛甲郡北部にわずかにみられる古式の構造で、四方下屋造の祖形と考えられている。また、柱がすべて手斧仕上というのも、この時期の民家としては古めかしい。
 梁は太く、梁組は豪快だが、虫害等による再用不能の材も多く、移築修理時にかなりの梁が新材に置き換えられている。そのうちザシキ上部の2本の梁行梁は当初材で、一本の木を半割にして使用している。小屋組は通常の扠首構造で、棟束は両妻側から9尺入った位置に2本だけ立てている。
 土間周りとヘヤの、外に面する壁は土壁だが、他の外壁は板壁という使い分けも珍しい。土間周りも上部小壁は板壁である。間仕切も同じく板壁である。
 以上のように、岩澤家住宅は神奈川の他の地域にはみられないいくつかの特色を有し、また四方下屋造というきわめて整備された構造が形成されてゆく過程を知るうえでも大変貴重な遺構である。

旧岩澤家住宅平面図

旧岩澤家住宅平面図

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