沖永良部の高倉
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沖永良部の高倉 1棟
建築年代
19世紀中頃
規模
桁行2.7m、梁間2.5m
構造形式
4柱高倉、寄棟造・茅葺・平入
所有者
川崎市
所在地
多摩区枡形7-1-1
川崎市立日本民家園内
指定
市重要歴史記念物 平成7年(1995)1月24日
解説
この高倉は、もと奄美諸島の沖永良部島和泊にあった建物である。昭和44年に、川崎市が旧所有者の山田中安氏より譲り受け、日本民家園に移築、復原修理した。
高倉は、1間四方に丸柱を立て、その上に茅葺屋根をのせて、その屋根裏を倉として用いた形式である。珊瑚礁岩の礎石上に立つ丸柱はイジュという毒性のある木を用いた直径32~37cmほどもある太い柱であり、その姿は古代の高倉を髣髴させる。西南諸島に広く見られる高倉の形式であり、床下部は作業場、休憩所、物置などに利用された。柱は足元を貫で固め、頂部に梁(むるき)を渡し、その上に床組を造る。床組は梁上に大根太9本を渡す発達した構造であり、それとともに大根太の鼻を肘木形に造り、床四周に廻した枠木の四隅に反り上げて軽妙である。屋根は床組上に立てた束柱に桁を廻して扠首組の小屋を架け、小棟造の茅葺屋根とする。軒下にゆるやかな傾斜を持つ蛇腹様の板床を造っている。床高は約2.4mあり、平側中央に入口を設け、出入りに弥生時代以来の形式を持つ角材に刻みを入れた一本の梯子をもちいる。
奄美諸島の高倉は床組や小屋組が発達し、木組の工法にも洗練された手法が見られる。それはこの高倉にも認められ、高倉の発達した形を窺うことができる。建築年代は19世紀中頃と推定されている。川崎市には沖縄出身者が多く、この高倉はその人達の郷土の建物として移築されたという。
沖永良部の高倉梁断面図
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