子之神社本殿
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子之神社本殿 1棟
建築年代
江戸時代(19世紀中頃)
規模
間口3.86尺、奥行6.7尺
構造形式
一間社流造銅板瓦棒葺、正面千鳥破風、向拝軒唐破風付
所有者
所在地
多摩区菅北浦5-4-1
指定
市重要歴史記念物 平成8年(1996)1月25日
解説
当社は鎌倉時代に小沢郷七か村の鎮守であったと伝えられる。天文2年(1533)に北条氏康が当社を再興したが、天正18年(1590)の小田原攻めの時に兵火により焼失した。また、正保の頃(1644~47)領主中根正致が社殿を再興したという。社蔵の棟札によると、享保13年(1728)に本社と前殿(拝殿)を造営した。今の本殿はその後に再建された建物で、覆屋内に置かれる。
間口3.86尺(24枝)の一間社流造で、屋根正面に千鳥破風、向拝に軒唐破風を付け、また母屋四面に擬宝珠高欄付大床(4手先斗栱支持)をまわし、向拝に浜縁と7級木階を設ける。総欅素地仕上げで、正面の桟唐戸、脇障子はもとより、壁面、斗栱の小壁、妻壁、母屋及び浜縁の腰壁や頭貫の表面、木鼻などを全て彫物で飾る。軸部の木割はやや細く、径3.8寸の丸柱を土台上に立て、足元・切目・腰・内法の各長押と頭貫、台輪で結ぶ。斗栱は三手先、中備詰組1具を上げ、尾垂木先端を龍頭とする。妻飾は二重虹梁を出組で受ける。軒は向拝とも、二軒小間返し母屋地垂木を打越し、側軒出は破風共に11枝である。
向拝は几帳面取の角柱に地紋彫りを施し、上り龍、下り龍を丸彫りする。虹梁木鼻は巻龍、二段肘木は菖蒲桁受斗栱と繋がり、中備龍彫物、繋海老虹梁は龍丸彫りと化すなど彫物過飾の建築である。
建立年代は資料を欠くが、斗栱や細部手法よりみて、19世紀中頃と推定される。
神奈川県下の社寺建築において、壁面及び細部を彫物装飾で埋め尽くした数少ない遺構例の1つであり、彫物は精緻で、江戸の名のある彫工の作と推定される。
子之神社本殿平面図
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