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菅寺尾台廃寺(菅寺尾台廃堂跡)

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  • 更新日:
公園内に復元された菅寺尾台廃寺の八角形の基壇

公園内に復元された菅寺尾台廃寺の八角形の基壇

住所

多摩区寺尾台2-8-3

交通案内

小田急線「読売ランド駅」から小田急バス読02・05系統「馬場南」下車、徒歩3分

地図

解説

 多摩区の寺尾台団地内にある寺尾台第2公園の中に、八角形をした石積(いしづみ)が復元されています。これは、この団地造成にさきがけて実施された菅寺尾台廃寺(菅寺尾台廃堂跡)の発掘調査の成果をもとに復元した建物の基礎部(基壇(きだん))です。
 遺跡の発掘調査は、昭和26・27年(1951・1952)に川崎市教育委員会が実施し、その後昭和43年(1968)には、団地造成に伴い再度詳細な調査が行われています。この3次にわたる調査の結果、建物の基壇は直径7m強をはかる八角形をしていることが判明しました。したがって、その上に建てられた建物も八角形をしていたものと推測されています。八角形の建物を建築家は八角円堂とよんでおり、現存する建物では、法隆寺の夢殿が著名です。
 基壇は、一旦深く竪穴(たてあな)を堀り、そのなかをローム土と黒色土で交互に固くつきかためた版築(はんちく)をともなう掘込地業(ほりこみじぎょう)という工法が用いられています。こうした丁寧な基礎工事を行うのは、この基壇の上に重量のある瓦葺きの建物が建つからです。基壇まわりの化粧は、河原石を積み上げた乱石積(みだれいしづみ)でした。
 建物の屋根には、剣菱文様蓮華文(けんびしもんようれんげもん)というたいへん特徴的な軒丸瓦を葺いていました。
 従来はこの瓦の文様から、平安時代初期に建立されたものと考えられてきました。しかし、近年、東京都稲城市の大丸(おおまる)瓦窯跡から菅寺尾台廃寺の瓦を焼いた窯が発掘され、その成果から、従来の説を半世紀ほど遡らせ、奈良時代(8世紀中葉)に建てられたという考えも発表されています。
 また、これまでは人里離れた静寂な山林中に建ち、付属の建物を伴わないところから、一種の供養堂としてひっそりとした信仰を集めていたものと考えられてきましたが、最近では、古代の影向寺(ようごうじ)のような公的性格があったのではなかったかという説も出されています。まだまだ、これからも研究の対象となる貴重な遺跡です。

剣菱文様蓮華文 軒丸瓦

剣菱文様蓮華文 軒丸瓦

お問い合わせ先

川崎市教育委員会事務局生涯学習部文化財課

〒210-0004 川崎市川崎区宮本町6番地

電話: 044-200-3306

ファクス: 044-200-3756

メールアドレス: 88bunka@city.kawasaki.jp

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