旧井岡家住宅
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旧井岡家住宅 1棟
附
旧柱等部材 11丁
建築年代
江戸時代中期
規模
桁行8.6m 梁行12.7m
構造形式
切妻造、桟瓦葺(一部本瓦葺)、一部厨子2階
所有者
川崎市
所在地
多摩区枡形7-1-1
川崎市立日本民家園内
指定
県指定重要文化財 昭和61年11月28日指定
解説
井岡家住宅の旧所在地は奈良市下高畑町である。中世から近世にかけて発展した奈良の旧市街地である奈良町は、興福寺を中心にその南北及び西方に広がっていた。下高畑町はその東南のはずれ近く、新薬師寺に向かう途次にある。奈良町は近世以前に、すでに宅地の細分化が進んだらしく、1軒ごとの町屋の敷地、特に間口はかなり狭い。そのため主屋は土間に沿って一列に部屋の並ぶ形式のものが圧倒的に多い。井岡家もこうした町屋の一例で、建立年代は17世紀末頃と推定され、現存する奈良町の町屋としては最古の部類に属する。井岡家の家業は、古くは油屋を営み、後に線香屋に転業したという。しかし、こうした職業の違いが家の造りの違いとなって現れることはほとんどなく、奈良町の町屋は数種類の基本的な形式のいずれかに分類される。
井岡家の形式は奈良町屋の大半を占める一列型民家の、その典型とみてよい。まず間取りであるが、縦長の平面を縦に2分して、右半分が土間(ニワ)、左半分には街路側よりミセ・ダイドコロ・ザシキの3室が並ぶ。そして街路に面して入口の右にはシモミセが造られている。ミセは商いの場、ダイドコロは家族の居間、ザシキは客座敷や寝室として使用された。シモミセは作業場であった。部屋境や土間境の引違い建具を入れるための敷居や鴨居は、建具を動かす範囲だけに溝を彫る、いわゆる「つきどめ溝」という珍しい形式だが、これは18世紀以前の町屋の特徴でもある。
ミセとダイドコロ、シモミセは根太天井を張り、上部をツシニカイ(厨子2階)としている。しかし居室として使用できるようにはなっておらず、階段もないから、物置程度にしか使えなかった。もっと時代が降ると2階にも立派な座敷が造られるようになる。ザシキには竿縁天井を張るが、さらにその上に竹簀子を敷き、土を塗って固めている。一種の耐火構造である。土間上部は垂木の上に割竹を並べた軒裏をそのまま見せている。
つぎに外観に移ろう。棟を街路に平行に置くいわゆる平入の、切妻造・瓦葺・漆喰塗の形式は奈良町屋に共通する。街路に面して庇屋根を差しかけ、大屋根と庇屋根の間に厨子2階の格子窓を見せる家が多いが、井岡家のような古い家では軒が低く、厨子2階の窓はない。ミセの正面は「鹿格子」とも呼ばれた、太い丸太を組んだがっしりした格子である。シモミセの正面は引違いの板戸で、その外側にアゲミセを取り付ける。アゲミセを下ろせば街路に張り出した縁台のようになる。ミセとシモミセの間が入口で、内側上部にはね上げる形式の大戸を用いている。
以上のように、井岡家住宅は奈良町屋の典型的な形式を備え、しかも現存する最古の部類に属するものであり、奈良町の町屋の発展を知るうえで貴重な存在である。
旧井岡家住宅平面図
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