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光明院

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木造不動明王及び二童子像

木造不動明王及び二童子像

住所

多摩区登戸1253

交通案内

小田急線「向ヶ丘遊園駅」北口下車、徒歩約8分

地図

解説

 稲荷山光明院は、もと麻生区に所在する王禅寺(おうぜんじ)の末寺で、大日如来を本尊とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院です。江戸時代に何度か火災に見舞われ古記録などは焼失してしまいましたが、寺伝では室町時代後期に源空法印によって開かれたと伝えられています。

 光明院の木造不動明王及び二童子像は、火焔光背(かえんこうはい)を背負って、右手に宝剣(ほうけん)、左手に羂索(けんさく、けんじゃく)を持ち、左右に矜羯羅(こんがら)と制多迦(せいたか)と呼ばれる二童子立像を従える、いわゆる不動三尊形式の像で、市重要歴史記念物に指定されています。

 密教において、不動明王は大日如来が悪を調伏するために恐ろしい姿に化身したものとされ、通常は忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)で表されます。

 三尊ともに20cmに満たない小像ですが、光背裏の墨書銘によって天文22(1553)年に登戸に住む宝玉という僧が両親の三十三回忌に造立した像であることがわかります。

 また、台座の背面には、天保15(1844)年に修理されたことが記されており、現在の台座と彩色はこの時のものと思われます。

 後補の厚い彩色に覆われて、面貌や衣文の彫りは総体にかなり鈍いものになっていますが、小像ながら量感もあり、中尊の両眼を見開いた迫力ある忿怒の表情や簡略ぎみながらゆったりと波打つ着衣の襞(ひだ)には、室町時代後期頃の作風がよく表われています。

 市内に残る中世仏のうちでも制作年代が正確に知れる作例は少なく、この意味でも本像のもつ意義は大きいといえます。

所有指定文化財

コンテンツ番号97