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常照寺

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紙本墨画着色松寿弁財天図

紙本墨画着色松寿弁才天図

住所

多摩区宿河原3-11-3

交通案内

JR南武線「宿河原駅」下車、徒歩約5分

地図

解説

 JR南武線宿河原駅の近くに、向ケ丘城塞の役目を果たした寺といわれている、真言宗豊山(ぶざん)派の常照寺があります。当寺には、市重要歴史記念物である紙本墨画着色松寿弁才天図(しょうじゅべんざいてんず)が所蔵されています。

 この松寿弁才天図は綱下げの松と松寿弁才天の伝説をもとにした作品で、江戸時代末の安政5(1858)年に杜水という絵師によって描かれました。

 江戸時代の多摩川は、6年に1度は大氾濫をおこしていたほどのたいへんな暴れ川だったようです。この伝説は、そうした多摩川の氾濫から生まれました。

 長雨の続くある夜、とうとう多摩川が決壊して大洪水が起きました。村人たちは襲いくる濁流から逃れて、安全な丘の上に避難しようとしていると、なんと、丘の上の松から一本の白い綱が、するすると降りてくるではありませんか。村人たちは、天の助けとばかりに、この綱にしがみついて丘の上に逃れたといいます。そして、恐怖の夜が去った翌朝、村人たちが昨夜の松のところに来てみると、白い綱はどこにもなく、その代わりに白い蛇が松の下にいました。これはきっと弁才天様が我々の命を救ってくれたにちがいないと思った村人たちは、松の下に蛇を祀(まつ)った祠(ほこら)をつくり、この松を「綱下げの松」と名付けたといいます。こうした松寿弁才天の御利益(ごりやく)は広く知れわたるところとなり、『世田谷大場代官日記』の天保3(1832)年5月の条には、江戸からも多くの人々が参詣にきていたことが記されています。

 このように、松寿弁才天図は、江戸時代の庶民信仰の様子やこの地域の風俗を知るうえで、重要な手がかりを与えてくれる資料です。

所有指定文化財

コンテンツ番号99