獅子舞(菅の獅子舞)
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菅の獅子舞
保存団体
菅獅子舞保存会
指定
県指定無形民俗文化財
平成13年2月13日指定
解説
一人立獅子舞。一人立獅子舞は、中部・関東・東北地方に広く分布している。一人立獅子舞の頭は獅子・鹿・龍などがあるが、獅子頭が一般的である。3匹1組が多いが、獅子頭の数は地域によって多様である。
薬師堂のことを書いた記録に、菅薬師の獅子舞は文治3(1187)年に当地の領主稲毛三郎重成が薬師堂を建立した時にはじまったと記してある。しかし、一人立獅子舞は戦国時代から近世初期の史料が最も古く、鎌倉時代に行なわれていたとは考え難い。『法泉寺文書』に明和8(1771)年に復活していたという記載があるから、それ以前にすでに行なわれていたことが知られる。初山の獅子頭に近世初期のものがあり、一人立獅子舞が風流踊に関係のあることなどから、初山の獅子舞と同じ頃に行なわれていたと考えられる。
菅の獅子舞は先導役の天狗面をつけた者1人、雄獅子・雌獅子・臼獅子が笛・歌にあわせ、胸につけた羯鼓を打ちながら舞う。9月11日に子之神社境内で揃い獅子、12日に薬師堂境内で本獅子、13日に小学校・郵便局などで舞う。(※)獅子は道行の囃子で祭場に入り、横にならんで舞う横舞から、乗込といって、天狗が先導して舞場に入り舞う。舞場に入ると地舞といい、各種の舞が舞われる。舞は風流歌が歌われ、獅子に天狗がからみ、道化的なことを演じ、見せ場を作る。
また、雌獅子隠しといって、雌獅子を臼獅子と雄獅子が奪いあったりすることがある。雌獅子隠しの場面は獅子舞の見せ場ように考えられている。舞場で一踊りし、入場の時の横舞の形をとり、神前に一礼して退場する。舞の基本は祭場に練り込み、悪霊鎮め・悪霊払いをして退場するというもので、一種の行道の形式をとる。胸に羯鼓をつけ、それをで打ち、風流歌をうたい舞うのが特色で初山の獅子舞と同じである。
菅の獅子舞は菅在住の家柄のよい家の長男によるものときめられていた。五穀豊饒、疫病退散を祈願する舞といわれる。昔は豊年の年のみ舞われたという。舞人が腰にさす5色の幣は安産のお守りになるという。
一人立三匹獅子舞は現在川崎市に3ケ所伝えられている。一人立獅子舞は広い分布をもつが、川崎市の獅子舞はもっとも代表的な形式を伝えていると思われる。初山・菅・小向の獅子舞はともに共通点が多いが、歌詞など部分的に少しずつ違っており、所作にも少しずつ違いがある。菅の獅子舞は初山・小向の獅子舞と比較して頭を動かすことが多いという。ここの歌には三重県一志郡阿坂村(現松阪市)の鼓踊の小原木踊、同県一志郡松ケ崎村の精霊踊などで歌われる歌と同じものがあって注目される。
(※)現在では、9月12日に近い休日を選んで本獅子、その前日に揃い獅子を舞う。
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