玉林寺
- 公開日:
- 更新日:
紙本着色仏涅槃図
住所
多摩区菅馬場2-20-1
交通案内
JR南武線、京王相模原線「稲田堤駅」下車、徒歩約20分
地図
解説
多摩区の旧菅(すげ)村は南武線に沿って東西にのびる平野部と、その奥につらなる丘陵からなっています。平野部には広々とした水田と農家が所在し、一方、日常の生活圏から離れた丘陵には、いくつかの寺社がみられます。その一つ玉林寺には市重要歴史記念物の紙本着色仏涅槃図が所蔵されています。
南北に配された沙羅双樹(さらそうじゅ)の間、宝台上に臨終を迎えた釈迦が横たわり、周りに十六羅漢、十大弟子、七菩薩、在家信徒、インド天部の諸神等が集まって別れを惜しんでいます。よくみると、その周辺にはさまざまな動物や植物等も描かれ、画面の中ほどには跋提河(ばっだいが)、上空には2月15日の満月がみられます。
このように本図は伝統的な釈迦涅槃図の様式を踏襲していますが、宝台の上空に円相を描いて説法印坐像の釈迦を表し、さらにその胸の位置にも小さな定印(じょういん)の釈迦を表現しています。
さらに本画の周りに帯状の外縁を設けて「十方五十二類の衆」を類別に表していますが、これは仏教の世界観によって、生命あるものを52種に分類したものです。それらが釈迦の涅槃を囲むことで仏縁を示し、さらに東西南北の中央に地蔵菩薩を配して、釈迦入滅後の無仏時代の衆生(しゅじょう)の救済を約束しています。
本図は文化14(1817)年に菅村の佐保田氏や寒念仏講中の人々が発願(ほつがん)となり、制作奉納されました。
江戸時代の寺院では釈迦涅槃図や地獄絵が普及し、仏事法会(ほうえ)等に際し、檀信徒の教化に一役買いました。このため川崎市内の寺院にも数多くの涅槃図が残されていますが、本図は伝統的スタイルを踏まえつつ、新たに仏教的な救済の論理を描き込み、あるいは外縁の表現に近世的な庶民の感性が反映して河童(かっぱ)やカラス天狗(てんぐ)を描くなど、ユニークな特徴がみられます。
所有指定文化財
コンテンツ番号98