旧佐地家門・供待・塀
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旧佐地家門・供待・塀 1棟
建築年代
江戸時代後半(19世紀初期)
規模
門 全柱間12.01尺、中央柱間6.01尺
供待 桁行30.39尺、梁行15.05尺
塀 延長34.80尺
構造形式
門 木造、棟門、切妻造、桟瓦葺。
供待 木造、入母屋造、桟瓦葺。
塀 木造、桟瓦葺。門左脇に潜り戸、門両脇に前方への袖壁付。
所有者
川崎市
所在地
多摩区枡形7-1-1
川崎市立日本民家園内
指定
市重要歴史記念物 平成9年4月22日指定
解説
建物の旧所在地は、名古屋城の東及び南を防御する武家屋敷帯に属し、長塀筋(ながべいすじ)と弓箭筋(ゆみやすじ)が交わる西南の角地に当たる。この場所は、古地図によると17世紀中期~明治2年(1869)まで石川家の屋敷であった。石川家は、寛永11年(1634)に没した元右衛門某(諱名不明)以来、尾張藩士として知行高250石を相続し、幕末には御普請奉行として50石の加増を得ていた。昭和5年頃に家屋敷が佐地家の所有となり、昭和44年に道路拡幅により現地保存が困難となったため、翌45年3月に川崎市が佐地家から寄贈を受け、日本民家園内に移送・格納を行った。そして昭和61年度にいたり、宿場コーナーにおいて旧三澤家住宅を主屋に見立てて復原・組立を行った。
建物は長塀筋に面し、門・供待・塀が一体となって武家屋敷の表構えを形成していた。
門は柱間3.64mに角柱をたてて冠木を通し、柱及び冠木上束に腕木を差して出桁を組んで切妻造・桟瓦葺屋根をつくる。冠木下の柱間は、方立状に角柱を入れて三間に分け、中央間に両内開き板扉を釣り、両脇間は腰下見板付の漆喰壁とする。
供待は、桁行9.21m、梁行4.56m、入母屋造・桟瓦葺で、内部は土間・門番部屋・板の間からなる。もと屋敷の東北角に建ち、通りに臨む二面は出桁造りの軒を漆喰で塗籠め、外壁を大壁造・漆喰仕上・腰下見板張りとし、開口部が窓2ヵ所と少ない点など城郭風である。これに対して屋敷内の二面は軒を化粧屋根裏とし、真壁造の外壁は中塗りにとどめ、開口部を多く確保するなど、住宅の色合いが濃い。
塀は、土台上に角柱をたて、腕木を差して前後に出桁を渡し、瓦葺き屋根をつくる。門正面向かって右脇の塀には、板扉内開きの潜り戸を設ける。
以上のように、門・供待・塀が一体となって尾張藩中級武家屋敷の表構えをよく伝えており、殊に供待という珍しい建物が保存できたことは、大変貴重である。建築年代については、いずれも江戸時代後半、19世紀初期と推定されている。
旧佐地家門・供待・塀平面図
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