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二子・諏訪・北見方コース(水みちたどり 文化をめぐる)

  • 公開日:
  • 更新日:

水みちたどり 文化をめぐる

二子・諏訪・北見方コース

二子・諏訪・北見方コース

全行程:4km

所要時間:約2時間

A.高津駅 西口
↓ 550m
B.二子塚跡
↓ 250m
C.二子坂戸緑道
↓ 500m
D.梨園・ブドウ園
↓ 650m
E.高津区内最古の道標
↓ 200m
F.正福寺
↓ 100m
G.白髭神社
↓ 300m
H.東高津公園
↓ 150m
I.諏訪天神塚古墳
↓ 50m
J.馬頭観音
↓ 50m
K.小黒恵子童謡記念館
↓ 200m
L.明王院
↓ 200m
M.諏訪神社
↓ 650m
N.一本松の碑
↓ 150m
O.二子新地駅東口

B.二子塚跡

 古墳の説がある。一つは約300坪、他は180坪ほどの二つの塚があった。塚と塚の間を奥州古道の小路が通っていたとの説がある。

トロリーバス

 現存する川崎市のトロリーバスの最後の1両。車体中央部から突き出したうさぎの耳のような2本のポールが特徴で、道路上に張られた架線から電気をとって走行した。

 昭和26年(1951年)から昭和42年(1967年)まで、川崎駅から水江町まで7.30キロの路線は、市電と共に川崎市の工業都市の復興に大いに貢献した。

C.二子坂戸緑道

 二子塚の付近は久地の円筒分水から二ケ領用水(川崎堀)と六ケ村堀、根方堀、それに平瀬川等が交合し、分離する箇所で流れが曲がりくねり複雑な地帯であった。本流と平瀬川の改修により流れが変わり、その跡地が緑道となっている。

E.高津区内最古の道標

 寛政11年(1799年)に建立された区内最古の道標とみられる。昭和41年(1966年)に川崎市立日本民家園に寄贈されていたものを、北見方町会が平成23年(2011年)に元あった場所に戻した。江戸時代八王子と東海道川崎宿に通じる三差路で、「左 のみち、右 かわさき道」と書かれており、かつては府中街道を「かわさき道」、その他の道を「のみち」と呼んだことを物語っている。

F.正福寺

 真言宗智山派、白王山と号する。天和2年(1682年)寂の法印快雅の開山という。昭和20年(1945年)に戦災で焼失し、現在の本堂は平成11年(1999年)に再建された。

G.白髭神社

 慶長15年(1610年)頃、北見方総社として創建された。北見方はかつて6つの字に分かれていたが、各字の氏神は明治39年(1906年)の神社合祀令によって、すべて白髭神社に合祀された。現在の社殿は、氏子中の総意をもって、平成18年(2006年)に竣功した。

L.明王院

 開山、創建は古いが明確ではない。真言宗智山派で本尊は不動明王。境内には観音堂があり、二ケ領用水の工事に協力した小黒左近の墓もある。

M.諏訪神社

 慶長の初め、諏訪左近頼久が建立。当初は二子、諏訪、北見方、坂戸村の鎮守社であった。明治33年(1900年)の省令により杉山社、大陸天社、神明社、稲荷社を合祀して村社、諏訪神社と言う。

N.一本松の碑

 約400年前、諏訪左近頼久(小黒家の祖)がこの地を開いた際に諏訪大社の神木として植えられた名木の碑。「諏訪の一本松」と呼ばれていた。

二子の渡し(二子橋)

 多摩川の二子付近は洪水のために流れが度々変わり、冬季は減水し石河原となり架橋して渡った。夏季は増水するので渡し船で渡っていた。大正14年(1925年)二子橋が完成したので渡し船は廃止されたが、大山街道活性化のイベントとして平成23年(2011年)から二子の渡し体験が開催されている。

二子・諏訪・北見方コース