大山街道コース

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2008年3月21日

大山小径で大山詣り

大山小径で大山詣り

 大山街道は、江戸の赤坂御門を起点に多摩川を渡り、二子、溝口を経て、馬絹、荏田、伊勢原、矢倉沢へ至っている。この道は丹沢の大山詣りの道として知られ、大山山頂の阿夫利神社は雨乞いの信仰も集め、五穀豊穣や商売繁盛を願う人々でにぎわい、大山道、大山街道と呼ばれていた。相模川でとれた鮎や秦野の煙草なども、この道を通って江戸へ運ばれた。街道の商人達は江戸後期から、製造業と卸・仲買いを営むなど驚くべき繁栄をとげていく。

 正確には、大山街道は矢倉沢往還という。街道とは、道中奉行所が管轄し、運輸・通信・休泊の機能を備えており、その代表例が東海道。往還とは、公用旅行者のため伝馬・人足を備える継立村があり、休泊の機能も備わっているもの。二子・溝口村は、寛文9年(1669年)に継立村となった。道はこれ以外のものをさすといわれている。二子・溝口村が継立村となった後、久地・諏訪河原・久本・末長の4ヶ村が二子村の、北見方・上作延・下作延の3ヶ村が溝口の助郷村になり、継立村で用意する伝馬・人足が不足の場合は提供することになった。これらは農民の負担であった。また、農作業をしながら出役の時間を知る方法として、天保5年(1834年)には光明寺の了解を得て、代官所へ同鐘を時の鐘として使うことを申し出て、許されている。

 

1.二子の渡し

 渇水期となる冬は土橋を、その他のときは渡し船を使い、武士は無料だった。現在は二子の渡し場に通じる幅2.5メートルの道が残っている。

2.二子神社と岡本かの子の文学碑

岡本かの子の文学碑

 境内にはかの子の息子、岡本太郎の作で「誇り」と題する彫刻がある。台座には川端康成の揮毫で「としとしにわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」というかの子の句碑がある。

3.大貫家跡

 大貫家は江戸時代には幕府の御用をつとめたことのある商家で、雪之助、かの子兄弟の実家だった。かの子は4才から13才までこの地で暮らした。雪之助は島崎藤村門下で、将来を期待されながら24才で亡くなった。ロシア文学のツルゲーネフ「煙」やトルストイ「灰色の兎」は、雪之助が日本で初めて翻訳した作品で先駆的な業績だった。

4.光明寺と二子学舎、光明寺山門

 明治時代には二子学舎が置かれ、近代小学教育の場となった。境内には大貫雪之助の墓がある。

5.溝口緑地と国木田独歩の碑

国木田独歩の碑

 旧亀屋(旅人宿)に一泊した独歩は、その主人を「忘れえぬ人々」の一人として描いた。昭和9年(1934年)、亀屋主人、鈴木久吉の立案で建てられ、題字は島崎藤村によるものである。平成14年(2002年)旧亀屋跡から高津図書館前へ移設された。

6.蔵造りの店、タナカヤ

蔵造りの店

 明治時代まで二子や溝口あたりには街道沿いに蔵が建ち並んでいた。現在もいくつかの蔵が残っている。タナカヤ呉服店は、土蔵造りの店と土蔵を組み合わせた建物で、店の背後に母屋がある。二階の窓には千本格子があり、伝統的な店造りとなっている。

7.江戸時代からの薬局、灰吹屋

 灰吹屋薬局は江戸時代に鈴木仁兵衛が創業し、街道で唯一の薬屋として繁盛していた。店の隣には蔵がある。

8.大山小径

 街道から高津こども文化センターへ続く道。

9.民権運動と上田家

 江戸に出店を持つ醤油屋で、質屋も営む上田家の7代目、上田忠一郎は、甥に家業を譲り政治の世界に入った。明治12年(1879年)には神奈川県で最初の県会がひらかれ、忠一郎が選ばれている。立憲政治の実現をめざす自由民権運動が各地に広まった明治初期、上田家にはさまざまな民権運動家達が訪れ、サロンになっていた。明治14年(1881年)には民権結社である橘樹郡親睦会を結成するなど、忠一郎は財産をなげうって民権運動につくした。

11.陶芸家濱田庄司 ゆかりの家

 濱田庄司は第1回人間国宝で、溝口に生まれ、幼少の一時期を祖父の家であったここ大和屋で暮らした。庄司は栃木県益子で制作し、民芸品としての益子焼に高い芸術性を与えた。お墓は宗隆寺にある。

12.糀(こうじ)ホールとギャラリー糀

 明治元年(1868年)に創業した岩崎酒店は屋号を糀といい、最初は濁り酒を造っていた。後に越後から杜氏を呼び清酒を造るが、戦時中の統制法により川崎酒造に統合したため、現在は酒類を販売し、不要となった醸造蔵跡地を音楽ホール及びギャラリーとした。

13.溝口・二子の問屋跡

 丸屋・鈴木七右衛門は、溝口・二子宿の問屋役(人馬の継立などの事務を行った)として宿駅を取り仕切った。本業は卸問屋で秦野の煙草や厚木の麦などを扱った。

14.二ヶ領用水と大石橋、濱田橋

大石橋

 二ヶ領用水にかかる橋で、昔は二枚の大きな石でかけられていた。

15.溝口神社と簡易水道

 この辺りは飲み水に不自由し、参道脇の水神宮や水道組合碑から当時の苦労がしのばれる。また勝海舟の大のぼりは、明治9年(1876年)、自筆によるもので今は珍しい“杜宝”となっている。正月3が日間に見ることができる。

16.宗隆寺と御会式、万灯

 10月の御会式には多くの万灯が集まる。ここにある芭蕉の句碑は、大山街道からみた田植えの情景がこの句に似ていることから、灰吹屋の鈴木仁兵衛がつくったもの。

17.唐申塔と大山道標

 通称片町の十字路に山角柱形の道標をかねた庚申塔がある。青面金剛が邪鬼を踏んで立ち、下に見ざる言わざる聞かざるの三猿が刻まれている。庚申待ちは、庚申の夜に眠ると人の体にいる三戸が抜け出して、罪を天帝に告げるといわれ、世間ばなしや村の決めごとなどをして徹夜する俗習。

20.笹の原の子育て地蔵

 昔、子供の授からない夫婦が西国の百霊場を巡拝して、子供を授かったのでお礼に地蔵尊を建立した。12年ごとに開帳される「都筑橘樹酉年地蔵」の第18番札所にあたる。平成5年(1993年)、酉年の御開帳にあわせて新しいお堂がつくられた。

散歩コース

1.二子の渡し
↓ 1分
2.二子神社と岡本かの子の文学碑
↓ 4分
3.大貫家跡
↓ 1分
4.光明寺と二子学舎、光明寺山門
↓ 6分
5.溝口緑地と国木田独歩の碑
↓ 1分
6.蔵造りの店、タナカヤ
↓ 2分
7.江戸時代からの薬局、灰吹屋
↓ 2分
8.大山小径
↓ 2分
9.民権運動と上田家
↓ 2分
10.ふるさと館(W・C)
↓ 1分
11.陶芸家濱田庄司 ゆかりの家
↓ 2分
12.糀(こうじ)ホールとギャラリー糀
↓ 2分
13.溝口・二子の問屋跡
↓ 2分
14.二ヶ領用水と大石橋、濱田橋
↓ 5分
15.溝口神社と簡易水道
↓ 2分
16.宗隆寺と御会式、万灯
↓ 5分
17.唐申塔と大山道標
↓ 2分
18.高津区役所
↓ 3分
19.ねもじり坂
↓ 5分
20.笹の原の子育て地蔵

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